霊魂と夢

臨死体験

生霊の寺社詣で

人魂・脱魂の話

女死霊の夢

 

立花隆氏の科学的報告より

欧米では、発達した蘇生術により、心臓がとまり、呼吸が停止し、瞳孔開い、死亡と宣告されたあとでも、短かい人で数分後、長い人で数十分後に、また生き返る例が数千件出ております。そして、そのようにして生き返った人の大部分は、死後の世界ことについて、大体同じことを報告しているのです。

最近、欧米では、それを科学的に研究する臨死学会が組織され、活発な研究活動がつつけられています。立花さんは、それを取材するために欧米に飛び、日本こ帰ってからのち・日本全国で数百か所ある救急病院にアンケートを出し、「死後、蘇生した例」を集めたところ、約九十件の報告がえられました。さらに彼は、その九十人全ての患者に当り、「死後、何かを見たか」について質問したところ、驚くべきことに、欧米で報告されたこととほぼ同様の体験を、大部分の人が話したのです。その欧米と日本での報告では、こまかい所で若干のちがいが見られますが、最大公約数的なことをまとめるならば、つぎのようになります。

私は瀕死の状態にあった。私の生命が終末に達したとき、医者がご臨終ですと言った。すると耳障りな音か聞こえはじめた。同時に、私自身(myself)が、私の肉体の頭の方から抜け出した。抜け出したマイセルフは、フウフウと天井の方へ昇って行った。そして、天井にへばりつきながら、ヘッドの上に横たわっている私自身の肉体を見ていた。医者たちは、必死になって私の肉体にたいする蘇生術を試みていた。私自身には、何もかもよく見え、そして聞こえた、「私はここにいます!」と天井からマイセレフは呼んでみた。しかし、私の声は、誰にも聞こえなかった。そのうち私自身は天井をそのまま通り抜け、病院の璧を通り抜けて行った。そしたらそこには、ずっと前に死んだ私の家族や友だちが来ていた。 そして生きているうちには1度も経験したことのない輝く光が私の方に近づいてきた。その光は、何とも言えない愛と暖かさにみちたものであり、無限の光と生命とでも言うべきものであった。その大きな光の生命は、私に、こう言った。「お前は生前何をしてきたか」と。しかもその質問は、言葉になっているものでなくて、光の生命は、何も言わなかったのだが、その生命が私にそう 聞いているのが、私には分った。私がマゴマゴしていると、その大いなる光のいのちは私の目の前でテレビのように、私の一生の歴史を映し出してみせた。その中には、私が死ぬまで罪の意識をもっていたような悪い行為まで含まれていた。

 そのうち私は一つの境界線(barrier)に近づいた。私には何となく現世とつぎの世の境い日なのだということが分かった。しかも不思議なことに、私は現世から来世ことを少しも怖いとは思わなかった。なぜならばさっきの大なる光の命にお会いして以来、私は、その境目の向う側が、喜びと愛と安らぎにみちみちたものであることを知ったからである。そうしているうちにも、私自身には、私の死体に取りすがり泣いている私の家族、必死になって生き返らせようと努力している医師.看護婦たちの行動が、ひとつひとつ、はっきりと見えていた。そしてそのうち、どういうわけか、私の意志に反して、私自身は死体の頭の方からスーツと入りこんでしまった。そして気がついたら、生き返っていたのである。

 そして死後、生き返るまでの間に、私自身の見た病室内のできごとは、すべて客観的事実と合致していたそうです。

立花隆

臨死体験のイメージ

夢には、時には死後の世界々と呼ばれる世界からの情報がまぎれこむことがあります。それらの情報には文化を超えた不思義な共通性があり、世界各地できわめてよく似たイメージが用いられることがわかっています。たとえば、「洞窟くぐり」や「川などを渡る」、「非常に美しい花畑」「向こう岸」「航海」「谷間」などがそれです。これらのイメージは、常にではありませんが、ある特殊な心理状態、特殊な現れ方や印象を伴って夢見られた場合、しばしば死と関連します。したがって、たとえば夢見た人や夢に現れた人が、トンネルや坑道、探い穴などの洞窟状の通路を通って別の世界に入る場合には、それはその人の死の予兆になるケースがありますし、肉親や知人がそうした洞窟状の通路を通って別の世界に入る場合、その人の死の予兆になるケースがあるのです。ところがとても興味深いことに、死の淵から生還した臨死体験者もまた、彼らが臨死状態で幽体離脱した後、こうしたトンネルを通過したり、川を渡ったりして死後の世界に入ったと報告しています。

そうした例は、枚挙にいとまがありません。この分野の先駆者レイモンド・ムーデイ医学博士がインタビューした心筋梗塞し臨死状態に陥ったというある中年男性は、こう述べています。

私の体は浮き上がり、上のほうから自分の体を見下ろしました。大勢の人々が自分の身体の上にかがみこんでいるのが見えました。恐怖心など少しもなく、それどころか苦痛もなく、平和な気持ちでした。1秒か2秒後には、私は向きを変えて上昇し始め、トンネルのようなものの中に入りました。その暗い中に光がありましたるそれがだんだんと輝きを増し、私はそのトンネルを通り抜けたようでした。また、別の女性はそのときの様子をこう語っていますそれから浮上し、薄暗いトンネルを抜け、次に真っ暗なトンネルに入り、そして明るい光の中に出ました川を渡るというイメージもあります。ある老人は突然の心臓発作で病院に運び込まれました。その時点で心臓は止まっており、医者が必死で蘇生術を施している間、死後の世界に足を踏み入れたといいます。「川があるんです。聖書にも『川が流れています……』とあるでしょう。ガラスのように滑らかな川面で…そこを渡りました。

この老人は自ら徒歩で川を渡ったようですが、船で渡ったという臨死体験者もいれば、川の上空を飛んで渡ったという者もいます。心臓発作で何度か臨死体験をしたという中年の男性は、トンネルは(それをチューブと表現しています)と川の両方を一度に体験しています。真っ暗いチューブの中を進みつつあった。チューブの内壁には少しも触れなかった。だがすぐに再び光を見てほっとした。私は速いスピードで空間を翔びつつあった。私の下に川があった。夜が明けかかっていた。あらゆるものが明るくなっていた。私は、自分が空翔ぶ鳥みたいにこの川を沿っていくうちに眼下の美しい都市の上を通りかかっているのに気がついた。

夢と死後の世界を結ぶ通路

 臨死体験に現れてくるこれらトンネル状の通路は、死後の世界と現実の世界、死者の世界と生きている者の世界を結ぶ、目に見えない道を表しています。臨死体験者は、「だれがなんといおうと、自分はそこを実際に通ってあちら側の世界に入りかけたのだ」と口をそろえて主張します。そしてそれと同じ通路が夢にも現れてくるのです。 もしこの二つが同じものを異なった状態で見ているのだとしたら、夢にも、死後の世界と現象界を結ぶ通路が開けていると考えることは自然です。その通路が、実際の死後の世界とつながっているものかどうかは(死後の世界の有無もあわせて)議論の分かれるところですが、かりに死後の世界を否定する側に立ったとしても、通路の存在そのものは否定できません。その通路が、個人の幻想 などといったレベルのものではなく、他者と共有できる性質のものです。                                                                                                                                   

 ここから先は死とからんだ夢を見ながら、夢の通路の神秘に分け入っていくことにしましょう。

病床の女性が夢で寺社参りした話

配膳がなぜか一人分多い

夢うつつの状態で魂が体から抜け出て、かねてから、行きたい、見たいと思っていた場所を施するという不思議な現象は、死期が迫った人にわりと頻驚に見られる現象です0亡くなった私の祖母も、最晩年には、かつて住んでいた土地に行つてきたとか、だれそれと合ってきたといった話をしたものですが、次に紹介する話はまことにリアルで、妄想として片付けがたい話になっています。

明治35年のことです。神奈川県神奈川町に台湾亭という料理屋があり、伊藤チカさんという女守が店を経営していました。チカさんは病気で倒れた横浜の伯母を引取って世話をしていましたが、その年の5月、高野講に入って弘法大師を信心していた伯母の頼みで、高野山に登拝することになりました。病気で動けない伯母に代わって詣でる代参です。 

「おばさんの代わりに、あたしがしっかりお参りしてくるから、ちゃんと養生しているんだよ」

そういってチカさんは、伯母の写真を懐にいれの24人の高野講員ともに横浜から汽車に乗りました。5月6日のことです。 ところが、奇妙な出来事はこの車中から始まりました。24人分買ったはずの弁当が、どういうわけか25人分あるのです。このときは、たんなる買い間違いだろうと、だれも気にはとめませんでした。けれどその翌日も、同じようなことが起こりました。奈良の投宿先の魚佐旅館で出されたお膳が、24人分と断っておいたはずなのに、なぜか25人分用意されて出てきたのです。

さらに異変は続きました。魚佐旅館から高野山高台院の宿坊に移り、一行は二日間、各寺院を参詣して回りましたが、その間、配膳は、なぜか毎回、きちんと25人分並べられるのです。おかしおかしいと思いながらも、とにかく参詣をすませ、一行は高野のお山を下りました。その折り、チカさんは山腹の右につまずいて右足親指を傷つけ、包帯を巻いて下山しました。このことが、後に重要なサインになります。

打ち続く変事

さて下山後、講員のほとんどは自宅に帰りましたが、チカさんと吉田カネさん、土方フキさんの3人は、めったに来られるものではないということで、伊勢神宮をお参りして帰ることにしました。伊勢に着き、お参りをすませたあと、3人は伊勢の油屋旅館に1泊することにしたみな、例の兆人分の配膳のことが頼にありましたが、今度はわずか3人なので、よもや間違えることもあるまいと夕食の謄につくと、女中は当たり前のような顔をして4人分の膳を運んできます。「もし、3人ですよ」と注意すると、「何をおっしゃいます。4人様でございましよ」と、女中は真顔で答えました。多少気味が悪くなって、「よくご覧なさいな。どこが4人なのとチカさんらは詰問しました。すると女中は、「あらホント、御3人様ですわねぇ」と、はじめてそれに気づいたようで、狐につままれたような顔で配膳をひとつ下げてきました。ところがその翌朝、今度は昨夜とは別の女中が、また4人分の膳を運んできたのです。

「これはおかしい、どうも何かがついできているようだ」……と、次に伊豆の修善寺温泉に回りました。そこに行くまでの車中でも、駅弁を3人分求めると「4人分でしょう」といわれ、旅館に着いたときも「4人様でございますね」といわれて、一行は旅を楽しむどころではなくなっていたのです。

夢と現実の不思議な一致

チカさんが「オバキトク スグカエレ」という電報を受け取った翌朝でした。大あわてで伊豆の宿をひきはらい、急いで伯母の待つ台湾亭に戻りましたが、時すでに遅く、伯母は息を引き取っていました。せっかく代参してきたのに御利益はいただけなかったかと涙に暮れながら、チカさんは家族の者に、臨終までの伯母の様子を開いてみました。そこで家のものがしてくれた驚くべき話の数々によって、チカさんは旅先での数々の不思議の理由を、ようやく理解することができたのです。

 家人の話とはこうでした。              、

 チカさんが出発してから、伯母はどういうわけか、一切の食べ物を口にしなくなりました。食べ物だけではありません。水すら飲まず、一日の大半をうつらうつらと眠って過ごすようになったのです。  これでは体がもたないと周囲は気をもみ、なんとか食べさせようとするのですが伯母は「もう十分いただいでます」といって、家人の用意するものに一切箸をつけようとはしません。「食べてるつて、伯母さん何も食べでないでしょ? 何を食べたの? と聞くと、「汽車でいただいた駅弁はおいしかった」とか、「奈良の魚佐の飯もおいしかったけ高野山の精進料理は二の膳までついていて、ほんとにおいしかった」などと、わけの分からない返答が返ってくる始末です。

また、こんなこともありました。

 チカさんが出発してから5日日に、脱っていた伯母がパッと目を明けて、「右足の親指が痛いからもんでくれ」といいだしたのです。「どうして痛いの?」と開くと、「お山を下るときにつまずいて怪我をした」と、伯母は真顔で答えます。 どうも、頭がぼけてしまって、自分も高野山にお参りにいってるつもりらしいと、家人は話しあいました。そして、いよいよ臨終というときには、「高野山にも参詣できたし、お伊勢さんにもお参りできた。ああ、これでもう思い残すことはないよ」といって、安らかな顔で大往生したというのです。

 この話を開いて、チカさんは飛び上がるほど驚きました。さっそく家人に、25人分の弁当や配膳の不思議のこと、高野山での怪我のことなどを、逐一話して聞かせたのです。                                      チカさんの話を開いた家人は、それでようやく伯母が何も食べなくなったわけや、足の親指が痛いと言い出したわけなどを理解しました。死に瀕した伯母は、夢で魂となって体を抜け出し、チカさんについて一緒にお参りして歩き、満足したうえで成仏したのです。                  チカさんが出かけたあと、伯母が常にうつらうつらの状態になったのもそのためでした。「この写真に伯母の魂がついていたのかねえ」……そういってチカさんは、改めて懐から出した写真をまざまざと見つめたのです。

人魂になった話

人魂がつかまって死にそうになる

                                                                                                                                                                                                               先に紹介した伊藤チカさんの伯母さんは、夢中脱魂して高野山やお伊勢参りをしました。そのことは、旅行中に起こつた弁当の怪異などと伯母さんの夢の、不思議としかいいようのない偶然の一致から結論づけられたことですが、残念ながら伯母さんの幻影は同行者には目撃されていません。

けれども、夢中脱魂中の魂が、人魂の姿や人間の幻影となって目撃されたケースも少なくありません。柳田国男翁の名著『遠野物語』には、次のような興味深い話が収録されています。

ある日のこと、遠野町役場に勤める某が土間に行きかかると、馬舎のほうから火の玉がフラフラと飛んできて、土間を飛び回りました。そこで某はホウキで火の玉を追いかけ回しましたが、火の玉は逃げ回ってつかまりません。そこで、そばにあったタライを使って火の玉をうまく中に閉じ込めました。                                                                                                                                              

 そうこうしているときに、「伯父が危篤だ」といって人が迎えにきました。某は、あわてて伯父の家に向かおうとしましたが、伏せてあったタライのことがふと気になったので、タライを開いてから出かけたのです。

家につくと、伯父はいっとき息を引き取ったが、また息を吹き返したと聞かされました。ところがその伯父が、某に向かって溜め息をつきながら、こういったのです。

「今、こいつの家に行ったらホウキで俺を追い回したあげく、とうとう頭からタライをかぶせやがった。ああ、苦しかった」

 これは病人が、夢中人魂になって縁者を訪問した例ですが、人間の姿で現れた話も『遠野物語にはあります。

瀕死の重病人が寺に現れる(1)

遠野のある豪農が大病にかかり、瀕死の状態で寝ていました。ところがある日、その豪農がひょっこり菩提寺に姿を見せたのです。 和尚はお茶を出して丁重にもてなし、しばし世間話に興じました。やがて豪農は帰るそぶりを見せましたが、その様子に少々不審なところがあったので、寺の小僧さんに命じて豪農の後をつけさせました。「門を出たあと、家のほうに向かって町の角を曲がった先で見えなくなってしまいました」

 小僧さんは和尚にこう報告しました。けれども、実際には豪農は家から一歩も出られる状態ではなく、寺に姿を現したその日の夜に死去したのです。にもかかわらず、豪農は寺を訪れ、またその道すがら、他の人たちとも出合っていたことがわかりました。その際、豪農はだれに対しても常と変わらぬ挨拶をし、まるでふだんどおりの様子だったといいます。

 和尚は豪農に茶を勧めたことを思い出し、彼が茶碗を置いた場所を調べてみました。すると、豪農が飲んだはずのお茶は、みな畳の敷合わせのにころにこぼしてあったそうです。

 

瀕死の重病人が寺に現れる(2)

 よく似た話が、もうひとつあります。ある日の夕方、村人の某という者が、本宿からくる道で老人と出合いました。その老人は、以前から大病で臥せっていた者でしたから、村人は、「いつの間によくなったのか」とたずねました。

「この2、3日、気分もよくなったので、今日は寺へ話を聞きに行くとこだ」

 老人はそう答え、寺の門前まで話をしながら村人と一緒に歩いてきました。その寺と言うのは、土淵村大字土淵の曹洞宗の常堅寺で、遠野郷12ケ寺の触れ頭(江戸時代、寺社奉行から発せられた命令、交渉事などを司る役目だった寺)という格の高い寺です。やがて老人が帰るというので小僧に見送らせたところ、門から出たあたりでフイと姿が見えなくなり、老人が座っていたところを見ると、飲んでいたはずのお茶が畳の間にこぼしてありました。この老人も、その日のうちに亡くなったといいます。

『遠野物語』は、遠野在住の佐々木鏡石の見聞を柳田翁が聞き書きしたものですから、右の話が、実際にそのとおりに起こつたかどうかはわかりません。

 けれども、これに類した話は現代でもあり、また世界各地にもあります。死に源を発してうつらうつら状態に陥った人から魂が飛び出し(意識が遊離し)、肉体外の場所をさまようという類語を、もう少し続けましょう。                                     

腹がへって飯を食いに出た魂

 作家の松谷みよ子さんの労作『現代民話考』の4巻(夢の知らせ.火の玉・抜け出した魂)には、夢中脱魂の話が多数集められています。                            

青森市。昭和七年の小学校一年の時、朝病床の父が汗びっしょりで荒い息遣いで母に話した。夕べ二十キロ離れた父の出生地の姉の家に歩いて行って来たのだという、その年の夏休み、伯母の家に遊びに行つて、伯母からある夜中に私の父が炉端に坐ってキセルを吸っているのを見た話を聞いた。それは母に話をした日と同じ日であった。                

回答者・山口晴温 青森県在住

夢中脱魂で最も多いのが、この例に見られるような、病人や死期の迫った人、生死の境にある人などケースです。眠つている間あるいは昏睡状態の間に脱魂し(意識を肉体から外に出し)遠隔地に出向くのですが、その行く先は、子どものころ育った家とか地方、肉親のいる場所などが多く、老化が進み記憶力が劣えても容易には忘れることのない古い記憶とつながった場所に出向く傾向がありますが、実際に弟の幻を肉眼で見たのか、そうした夢を見たかは曖昧です。もし両者ともに夢での体験だったのなら、これは二人同夢のケースということになりますが、次に挙げる例では一方が目覚めています。岩手県二戸郡浄法寺町の山内集落で、昭和10年ころにあったという話です。「山内集落の山内さんが、腸チフスで、その市立病院さ入院していた時、病気も だいぶ良くなり、腹がへってたまらなかったと。夜になって夢を見た。それで、どんな夢かと言うと、家に帰って鍋の董を取り、飯をたくさん食べた夢を見た。そしたら、次の朝、家の人(かぁちゃん)が、どうしているだろうと思って、早見舞いに行ったそうです。その市立病院さ。そして、『昨夜、十一時頃、鍋の蓋を取る音、部屋で鏑の飯を盛る音で寝付かれなかった。それで、お前が急に病気が悪くなって、あの世さ行ってるがと思って来た』 っていったところが、なってがす、ちょうどその、自分がその夢見て、そして、その家さ帰って、飯食った夢、鍋ば見たと。まあ、偶然のよんだ(様な)ことですけど。

語者・佐藤基三。採話・岩手県昔話調査合

死の寸前に墓参り                      

 前項で『遠野物語』から魂がお寺参りをした語を紹介しましたが、松谷さんの本にも、次のような話が収録されています。

「大阪府泉北郡忠岡町忠岡七年くらい前の話。忠岡の私の実家に住んでいた母が突然倒れ、岸和田徳州会病院に入院した。三日程で母は亡くなったけど、亡くなる前、夜十一時すぎにそれまで全然動けへんかった母の心電図が、ピツピツと動いた時間に、母はお寺参りしてたそうや。母は毎日、家の裏にあるお寺のお墓に参ってたんやけど、その夜、お寺のおばちやんがのぞいたら、母がお墓に参ってる。お寺のおばちやんは母の事をいつも昼参るのに夜参っておかしいと思いつつ、『西村さ、ようお参り』と声をかけた。そやけど母は返事をしなかったそうや。お寺のおばちやんは翌日母が亡くなっ事を知り、驚いたんやて。

 話者・武田幸江。回答者・同右 

それまで動かなかった心電図が突然動き出したとき、墓参りをしていたというのは興味探い話です。ちょうど消えかかるロウソクの最後の輝きのように、死の刹那、命の最後のきらめきが意識を鼓舞しているようにも思わわるからです。

これらはいずれも、まだ存命の人の意識(魂)が肉体を脱した、いわゆる生霊のケースです。したがって、夢で脱魂するといっても、それは生きている間の意識活動の一種にすぎないのではないか、死後の世界や死後存続とは関係ないのではないかとも考えられるのですが、実際には、そんなに簡単な結論はくだせそうもありません。というのも、すでに鬼籍に入った人が夢を介して生者に交信してくるケースもあるからです。                             

夢で供養を求める女死霊の話

僧・汲光、女死霊と会う

夢を通した死霊との交信、まずは古いところから紹介しましょう。明治初年の話しです。

回国修行中の汲光という僧が、島根県松江市に滞在していた折り、次のような夢を見ました。ある寺の本堂前に行くと、横の墓地から1匹の犬が飛び出しました。見ると、顔は人間の女で口が耳まで裂けた怪物です。手にしていた錫杖で汲光が叩こうとすると、怪物は竹垣のある墓地に逃げ込みました。追っていくと、そこに32.3歳の顔にアバタのある婦人が立っていたのです。              

 婦人は汲光に一礼してこういいました。                        

「私は先年、あなたから引導を渡していただいたものです。あの世に往こうと思うのですが、邪魔があってどうしても往生できず、こうして迷っております。どうか往生できるよう弔ってください」 語り終えると、婦人は寺の位牌堂に汲光を導きました。そして、左手に「香室蓮台大姉」と戒名が記された位牌右手には飯をのせて汲光の前に立ったのです。位牌の文字を読みながら、汲光ぜ「これがどうしたのだ」とたずねると、婦人は、「どうぞこの位牌の人もお頼みいたします」と懇願しました。ちょうどそのとき、黒い羽織を着た印歳近い男性が、3、4歳の幼児をつれて本堂から位牌堂のほうに向かってきました。すると婦人は、「おじさんが怖い怖い」といって、いかにも恐怖にたえない顔つきをしました。そしてそのあたりで、汲光は日覚めました。ちょうど隣の家が雨戸を開けたのです。

死霊の話と一致した現実

目覚めた後も、右の夢は強く汲光の心に残りました。印象があまりに鮮明だったため、汲光は夢に出てきたような婦人が、最近、松江地方で亡くなっていないかどうかを探りました。それから10日ほどして、夢の主が見つかったのです。

市内北部に大谷屋という茶屋がありました。そこの姑は嫁と大変に折り合いが悪く、いつも反発しあっていたのですが、老病で寝込んでからは嫁にいびられ、病が悪化して死亡しました。この姑の戒名というのが、汲光が夢で見た「香室蓮台大姉」でした。

また、姑が亡くなったのち、嫁は妊娠したのですが、ほどなく足の病にかかって歩行が困難になり、家の中をはって回るようになりました。そして、子どもを産み落としたあと、姑の後を追うように亡くなりました。周囲の者は姑の祟りだとうわさしあいましたが、この亡くなった嫁というのが、32か33歳の、顔にアバタのある女性−汲光が夢に見た婦人その人だということも明らかになり、彼女が成仏できないという理由もはっきりしたのです。そこで汲光は、さっそく大谷屋をたずねました。すると、出てきた主人が、まさに夢に出てきた黒羽織の男性だったので、汲光はいよいよ先の夢が正夢であるとの確信を探め、夢の一部始終を主人に語って聞かせました。

主人も驚き、すぐに両婦人を厚く弔うことを決め、汲光をともなって同家の菩提寺である松江市寺町の龍昌寺に出向きました。すると、龍昌寺の墓地こそ、汲光が夢で婦人に誘われた墓地そのものだったことも判明したのです。

夢を通じて死霊が語りかけてくる?

 この話は死霊が夢を介して生きている者に救いを求めてきた例ですが、このパターンも数多く報告例があります。中でも奇異の感に打たれるのが、死霊自らの言葉で犯罪が解明されたり、行方.不明の死者のなきがらが発見されるなどめケースです。唯物論者は、死ねば肉体はもちろん、一切の精神活動も消え去ると主張します。けれども、死んでから明らかに日数が経ったのち、死者が夢に現れて何事かを語り、それが現実とピツタリ符合するという現象は、たしかに存在します。

 霊というものが実在し、その霊が生者に交信してくるのか、あるいは生前の念がこの空間中のどこかに残存しておサその念とたまたま同調した者が、念に合まれている情報をキャッチするために右のような現象が起こるのか、議論の分かれるところですが、いずれにせよ夢を介した死者との交信は主観的にはありうることであり、またその交信内容が客観的事実と合致する証明しています。

不二龍彦著「夢にまつわる不思議な話」より

※私くしKMも母を亡くしてからの四十九日までの間だったですが、亡くなった母のマイセルフがこちらの世界に戻りたがっているのを何度も感じました。向こう側からはすべてが見えるのに、こちらからは見えないのです。でもわかるのです。母であるという感じや母のムードみたいなものがこちらに来たいという思いが。人によつてはその家の死者の霊はその家に3年留まるともいわれています。われわれは死人に口無しなどといいますが、われわれが思っている以上にあちらの世界からはこちらの世界をよく見ているというのがわかりました。KMより

 

不思議な夢

 

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