私は「プロ・コーラ」

西暦1886年
アメリカ ジョージア州 アトランタに ジョン S. ペンバートンという薬剤師がおりました。
新種の風邪薬(せき止め)を開発。これを自分の店で売り出したそうだ。この薬は水で薄めて飲ませるもので、今で言う「せき止めのシロップ」みたいなものだろう。
ある日 いつものように薬を水で薄めて・・・・と思ったら、炭酸水で薄めてしまったのです。ところが、これが「おいしい!」

これが「コカコーラ」の始まりです。


日本で作られたのは1957年(昭和32年)、当時35円(190ml)
私自身が初めて飲んだのが小学校1年生(昭和46年)だったから 日本中に広まるまでに10年以上も要したわけですな。それで初めて飲んだときの感想は、「薬みたいな味だなぁ〜」です。当たり前だね。薬だったんだから(笑)
しばらくは瓶入りの2種類のコーク(コーラとは呼ばない。”コーク”である。昔のキャッチフレーズで”コークと呼ぼうコカコーラ・・というのがあった)がありました。ようは小さい瓶と「ホームサイズ」と呼ばれた大瓶だ。
昔の日本では500mlの大瓶で家族4人で飲む量だったのだろうか?
あ!それから迷信だと・・思うのだが、「瓶入りのコーラが一番おいしい」は事実なのだろうか?(笑)
コークが日本中に広まって需要が増えた頃、事件が起こる。500ml入りの瓶コーラが破裂するという事故があちこちの売店で起こった。そのときの対策は瓶のふたからプラスチック製のカバーをかぶせて販売するようになった。その後 瓶の材質の改良、瓶の表面にピニールコーティングすることにより、破裂することは皆無となった。
缶入りのコークは関東では250ml。これが普通のサイズと思っていたら、小学校4年生のときに大阪へ行ったら350mlが売っていた。(今の缶入りスタンダードサイズのことじゃよ)同じ値段なら関西の350mlの方がお徳と考える。・・・が、当時では350mlは量が多い意見だったようだ。ラジオ番組でアルフィーの坂崎が「大阪のコーラは飲みきれない!」とブーブー言っていたことを思い出す。

中学に入って・・・2年生だったか?「毒入りコーラ(青酸カリ)事件」が、発生。清涼飲料水売上日本一だったのが、売上が急落する。そこで打って出た戦法が ふたの裏にシールを貼り、めくって金額表示があったら、その金額がもらえると言うものだ。同じ事をペプシもやった記憶がある。

高校に入った頃、瓶入りの1000ml新発売。(俗に言う1gコーラ)日本人も大量消費時代を迎える。瓶保証金¥30円だった。しかし これが重いのなんのって!当時は買いに行くのが大変だった記憶がある。しかしこのサイズがあれば友達4人でげっぷが出るくらい飲めた記憶がある(笑)
同じに「コカコーラ・ライト」が発売。この味は好きになれなかった。
高校3年生(昭和58年)190ml瓶入りコーク発売。俗に”ダルマ瓶”と呼ばれていた。瓶保証金はなかった。このサイズはすぐに消えてなくなった記憶がある。


さて右のコカコーラのマークに注目して欲しい。コカコーラのマークの上に「Enjoy」という文字がある。
数年前までは日本のマークは「Enjoy」のところが「Drink」だったのだ。
アメリカでは「コークを飲みながら楽しもう!」という意味から「Enjoy」という文字を入れたのだが、日本に輸入された際に、当時の日本人に「飲み物を飲みながら、楽しむ」という感覚がなく、あえて「飲み物」という意味から(そのまんまやん!)「Drink」にした経緯があるそうだ。今の日本人はアメリカかぶれしている傾向があるから、いつの間にか 変わっていた。

さて コークはビンからペットボトルへと移行し始める。重たい瓶から樹脂の容器になったことで1500mlが新発売。
そして現在 主流はペットボトルとなるわけだ。

最後に 私がコークをよく飲んでいた頃(高校生の頃)炭酸がキツくて のどがヒリヒリするのが、たまらなく好きだった。だが、すでにその頃アメリカでは炭酸の量を少なくし 甘いジュースへと味が変わっていたそうだ。(ようは炭酸の抜けた味)
世界各地でこのコークは販売されていたが、最後まで日本のコークが炭酸がキツかったと言われている。医学から炭酸は身体に良くない・・・ということから数年前に、とうとう日本のコークも炭酸の量を減らしたそうだ。


友達が集まると決まってコークを飲んでいたような気がする。
そんな訳で コークのうんちくをたれてみました。

COCA-COLAとCOKEはTHE COCA-COLA COMPANYの登録商標です



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