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ミッチには確かにファンクラブが存在していた・・・と思っていた。
しかしどこにあるのか?募集をしているのか?まったくわからなかった。
ミッチが担当されていた深夜番組「ミッチの独言倶楽部」で盛んに「ミッチのファンクラブが・・・」という発言をされていたので、存在していることは紛れも無く事実だった。
昭和54年の秋。(私が中学3年生)
徳間書店発行 アニメージュの増刊という形で「アニメソング集」という雑誌が発行されていました。巻頭にはミッチや水木一郎さんなどの歌手の方々のカラーのグラビアが掲載されていたので、かかさず購入していました。
あれは何号だったか忘れましたが、下記の堀江美都子ファンサークル「紅」の会員募集の記事が載っていましたので、早速 応募したわけです。
この「紅」初代会長(本人は”総長”と呼べと強制していた模様ですが)(笑)は独言倶楽部の常連リスナー(はがきがしょっちゅう採用される方のこと)でして、私からしてみれば雲の上の存在的な方でした。
それで早速入会希望と会費を納めて めでたく「紅」の会員になりました。
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昭和53年に ミッチこと堀江美都子を応援しようという趣旨で結成したサークルで、積極的にステージやショーに参加し、応援したり、会員相互の連絡等をしている。 また最近では印刷物の発行も行っている。 応援するにしても情報を交換するにしても大切なのは土台だ。 土台がしっかりしていないことには その上には家は建たない。 つまりしっかりした組織F・C(ファンサークル)が必要なのである。 会の名称については ミッチのデビュー曲の主題歌”紅三四郎”からとったものです。 <入会について> ミッチが好きな方なら みな家族! 入会希望の方なら 規定用紙に必要事項をご記入して本部までお送り下さい。 入会金は¥100 会費は1ヶ月¥150円 (以下省略) 昭和54年 |
| 当時の入会案内書。 わら半紙にガリ版印刷。時代を感じます。あの頃は「手作り」だったんですよね。 |
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当時のミッチのFCとしましては、
代表的な「サークル・ミッチ」がありました。(ミッチはこのサークルをよく”ミッチのファンクラブ”という言い方をされておられました)後にこのサークルの会長と親しくお付き合いさせていただくことになったのですが、新規の会員募集はとうとうしませんでしたね(笑)
他には「オレンジペコ」「ミッチーキンキ」が代表されるサークルだったと思います。(他には”ミッチの詩”というサークルも存在し、何を隠そう私も会員でした。しかし会誌を1回発行したきりで 消えてしまいました)
当時の初代総長が”戦国絵巻”と題して、全国にあるミッチのFCについて
おもしろおかしく発表したことがありましたが、何かそれが物議をかもし出したらしく(笑)けっこうもめたとか、もめなかったとか?
なんせ総長は”過激”な方でいらっしゃいましたのでね。
さて「紅」ですが、当時は会報「紫陽花」(これは”あじさい”と読むのかと思っていたら”しようか”と言い張る人もいるんです。どっちが正しいでのでしょうか?(笑))3ヶ月に1回「スプーン」という会誌が発行されていました。
その後3代目代表(左の写真間違えてます”2代目”ではなく”3代目”でした)からは”紫陽花”改め”サンタン”が会誌が出ない月に発行されていました。
私は高校に入って1年生の頃は純粋な(笑)会員でした。大阪に本部を持つ「紅」は、他に「中部支部」を持っておりました。さらに 内部で「関東支部を作ろう!」という動きがあったらしいのですが、なんとなく没ったようで。
その頃私はミッチが担当されている「独言倶楽部」において 常連リスナーの仲間入りをしておりました。1ヶ月に1回のペースではがきが採用されるようになったのです。でもね、文通仲間以外に新しい仲間ができることはなかったのです。
その年の暮れにミッチの初のオリジナル「Emotion」発表を記念して、東京の渋谷の東急ホールでコンサートが実施されました。
ところが残念なことにファンのマナーの悪い印象を残したコンサートになってしまいました。
これについては当の本人でおられるミッチも非常に残念がっておられたと、後で聞いたことがあります。
これを機に 本部のスタッフが東京の仲間たちに働きかけ、ついに関東支部の正式発足となるわけですが、
その話は また別の機会に・・・。