独言倶楽部

昭和56年1月4日に大阪のよみうり文化ホールでミッチのコンサートが行われました。
そのときに余興のコーナーがあって、希望者がステージ上に上がり、ミッチの歌のカラオケにあわせて歌うと言うものでした。
二回目のステージで私は記念に・・・とステージに上がったんです。その数名の中に彼女はいました。名前を「M子」とします。
後でM子に聞くと、あのときはミッチのファンではなかったとのこと。何でも友達に誘われてコンサートに来ていて、たまたま司会者の目に止まり、ステージに上がらされた・・・らしい。

時は流れて、その年の夏。
私は大阪にいました。MFC「紅」関東支部長として。
大阪でイヴェントをこなされたミッチをお見送りするために、大阪空港(現伊丹空港)に来ました。
ミッチが搭乗口へ消えて・・・さぁ、帰ろうか。というときに私がふざけて「じゃあ、僕も帰ります」と冗談で搭乗口へ向かおうとしたところ、「本当に帰っちゃうのですか?」と私のところに歩み寄ってきたのがM子でした。それから仲が良く・・・(友達としてね)なったような気がします。

話はさらに数年後。
大阪の友達に会う為に数年振りに大阪に来ました。私が社会人になって、20歳を超えた頃かな?連絡したらM子も時間ができる、というので待ち合わせをして 久しぶりに会いました。
友達と3人でお酒なんか飲んだりしてね。
・・・っていうか、こんなに親しく連絡を取り合うようになったのが、実はつい最近のことで、大阪に行くちょっと前に 断りもなくM子から電話があたんです。「おひさしぶり〜」って感じで。私の話が面白いのか、それからちょくちょく電話をしてくるようになりました。とにかく長電話。1時間は当たり前。それで話を元に戻して酒の席での話。
M子がブラウスの袖をめくり上げ、腕を私に見せました。
・・・?えっ?
M子の手首には数本の傷がありました。
「ちょっと昔に死んじゃおうかと、思ったの。何本傷を入れたら死ねるのかなぁ〜・・・ってね」と明るい顔で説明するM子に、私、どうしていいのか悩みました。
「バカなコトするんじゃないよ・・・まったく」
こんな事をそのときには言ったのではないでしょうか?

私が22歳のときに大失恋したときに、愚痴を聞いてくれたのもM子でした。私が落ちこんで、眠れないんじゃないかと、午前3時に電話をかけてきてくれたこともありました。あのときは不思議で、電話の前でほおずえをついて電話を見つめていたら、電話が鳴ったんです。
M子は私のことを男性とではなく、「友達」という感じで接してくれていたと思います。たぶん。

時は昭和から平成に変わった頃。M子から結婚したよ・・・という連絡をもらいました。親の反対を押し切ってのゴールイン。だから式はしていないとのこと。M子のご主人とも、その後付き合うようになり、長距離の運転手をなさっておられたので、関東に来たときは私の当時住んでいた団地に泊まっていただいたこともありました。

その後・・・しばらく連絡が途切れたと思います。それは私が結婚したことで電話がしにくくなったからだと思います。でも昔から「連絡がないことは、いい事」とか言うから、そんなことなんか想像したこともありませんでした。それはある日 自宅に電話が掛かってきました。M子です。
「おひさしぶり〜」といつもの感じで話すM子でした。
「どうした?また旦那さんと東京に来ているのか?」と聞くと「ううん・・・。今回は一人で来てる」続けて「東京の友達の所に泊まってる」と話した。M子は「今週末は時間できる?」と言うので、調べて見ると、週末は競馬の「天皇賞」があるから横浜の場外馬券売り場に行く予定があった。だからM子には「横浜まで来られるならば、時間作るよ。カミさんを紹介したいし・・・」
M子は「わかった。場所は?」と言うので「横浜駅にそごうデパートがあるけど、そこに有名なからくり人形の時計台がある、そこに3時」と伝えた。「わかった」と言ってM子は電話を切った。
そして当日。天皇賞の馬券を買って、待ち合わせの場所まで来た。ちょっと早かったかな?2時くらい。この時計台、みんな待ち合わせ場所代わりにするから人がいっぱい。私はきょろきょろしながらM子が現れるのを待った。
このときに携帯電話があると良かったんだろうな。話しが少しそれるけど、携帯電話の普及によってドラマが無くなったね。すれ違い・・・系のドラマが。愛し合う2人が、待ち合わせをする。しかし何かの障害でふたりは少し離れた場所でお互いに待つ・・・。携帯電話の普及でこんなこと、今は皆無に等しいくらい無いだろう。なぜ、こんな例え話をしているかと言うと、3時になっても4時を過ぎてもM子が現れないのだ。カミさんも口には言わないが、ちょっと疲労気味なので、自宅に電話をかけた。ひょっとして留守番電話に何か入っているかもしれないと思ったからです。4時にかけたときにはメッセージは入っていなかったが、5時前にかけると1件、入っていました。
「・・・ごめんなさい・・・行けなくなりました。・・・ごめんなさい・・・」
その声は今にも泣きそうな そんな声だったので、M子を責める気持ちにはならなかった。何かアクシデントが発生したんだな・・・と思いました。
翌日、仕事から帰るとカミさんが「留守電に入っているよ」というので聞いてみると
「今夜9時の夜行バスで大阪に戻ります。」とM子からのメッセージが入っていました。そのときは7時だったかな?すると再び電話が鳴りました。M子でした。
「あ・・・昨日はごめん。・・・・」
私は「正直に言ってみな。何かあったんだろう?子供もいるんだから、普通なら一人で東京なんかに来るわけがないだろう?」
M子は正直に答えてくれました。どうやら育児ノイローゼのようです。
「大阪にもどったら、実家に帰って ゆっくりしなよ。・・・考え過ぎちゃだめだよ・・・」こう言ったんです。
「9時の横浜発なんだ。・・・来れない?」時計を見ると、どう頑張ってもギリギリでした。本当ならば今すぐにも駆け付けて、相談に乗ってあげたかった。あと1時間余裕があれば・・・。
でも・・でも、あのときに行かなければいけなかったんだ。行ってあげて 何か話を聞いてあげれば、少しは事態が変わったはず。
私じゃなくてもいい。誰か相手をしてあげて。と、同時に友達が苦しんでいるのに見捨ててしまうのか!悩みました。それはほんの数分のことなんですが。
結論は「ごめん・・・また今度ゆっくりと話しをしようよ。気を付けて帰ってね」



大阪空港で初めて話しをしたときからお前の事が好きでした。冗談で「好きなんだけど・・・」と言ったら、お前は「そう言う対象じゃないもん」と言われて そのときは強気だったけど、渡辺の家でどっぷり落ちこんだんだよ。
楽しそうに話をするお前が好きだった。
何事も前向きのお前が好きだった。
大きな夢を話すお前が好きだった。

彼女に・・・
誰か・・
伝えて。・・・「ごめん・・・力になれなくて」
・・・って。




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