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昭和56年(1981年)夏のおわり・・・
私は大阪にいました。友人と梅田駅前で待ち合わせをしたのだが、それまで1時間ばかりある。
何をして時間をつぶそうか?
映画を見るにも中途半端な時間だし
サ店に一人で入るにも、面倒くさいし・・・。
あの時は 何を思ったのか、目に入ったパチンコ屋に吸いこまれるように入店する高校3年生が一人・・・(時効だよ)
当時は平台(チューリップが面にちらばったゲージで チューリップのみの入賞で出玉を増やす台のこと)しかなかった・・・と思って、釘さえ読めれば(笑)少ない投資で1時間くらい遊べるだろうと そう思ったのである。
ところがその平台がない。
この頃 ゲーム機「スペースインベーダー」のブームの波をモロにかぶったパチンコ業界はパチンコ離れの歯止めとして「フィーバー機」を発表した。コツコツ玉を増やす平台から 一瞬のうちに4000発出るフィーバー機に客は殺到したのである。
で、私はそんなことを知らないもので 何気なく1台空いていたフィーバー機に腰を下ろし おもむろに100円だけ玉を借りて打ってみた。
中央のドラム式の絵柄が回転を始めた。と、それを見ていると3つある絵柄がそろって停止した。
このときの私はまだ現状が理解できていなかった(笑)
すると下のアタッカーが開き ほとんどの玉がそこへ吸いこまれて行く。と、同じに下皿にあふれんばかりの出玉が!
どうしていいのかわからない私は 下皿に詰められるだけ玉を詰め始めたのだ。(そうするとパチンコ台はセンサーが働いて 玉が飛ばなくなるのだよ)
玉が飛ばないから 当然上の呼び出しランプをつけて 店員を呼ぶハメに。そうすると「ばかやろう!」と言わんばかりの真っ赤な顔をしたガラの悪そうな店員が、俗に言う「ドル箱」を持ってやってくる(ようは 絵柄が揃った瞬間に店員を呼ばなくてはいけないルールだったらしい)
で、当時のフィーバー機は規制前の機種なので 1回の大当たりで約4000発出るのだ。
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| これは、最近の台。念のため |
玉がいっぱいになったドル箱を抱えて私はどうして良いのかわからなかった。
なぜなら 今までにこんなにいっぱい出したことがなかったからである。(笑)
いつもならば、タバコかチョコレートに交換(高校生が)していたのに こんなにいっぱい玉があると タバコでも何個もらえるのだろうと?そんなことばかり考えていたのである(笑)
で、ジェットカウンター(玉を高速で数えてくれるマシン)で計測し そのレシートを持って景品交換カウンターの姉ちゃんにレシートを渡し、「マイルドセブン」と言うよりも早く、何かライターの石?みたいなものをくれた。
「何ですか?これ?」
思わず姉ちゃんに聞いてしまった。
「なんや?あんた知らんの? ええか。
そこの出口から出て 小さな窓があるから ソコにそれ 出してみぃ」(いんちきくさい関西弁ですまん)
100%理解できなかったが、ライターの石を持っていても仕方がないので、言われた通り 出口を出て、
・・・あった。小さな窓が。手がやっと入るくらいの窓だろうか?この窓にこいつ(石)を差し出せば タバコか何かもらえるんだなと・・・。
ところがぎっちょん。窓から出てきたのは当時の聖徳太子の1万円なり。こりゃ驚いた。
このときに18歳だった高校生の私はパチンコが現金になると言う事を知るのであった。(まじ)
そのことを待ち合わせに来た友人に話すと
「え?100円が1万円になった? ほな お前のおごりやな」
・・・ということで この後に飯をおごるハメになった。(笑)
しかしまぁ、これがきっかけでパチンコ狂になるわけなのだが
その続きの話は、また 別の機会に。
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