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1980年1月4日 私は高校1年から2年生になる年でした。 当時 文通をしておりました広島在住の同じファンの方に誘われて、初めて大阪までミッチのコンサートに出かける運びとなりました。 朝一番の新幹線で小田原から新大阪まで向かう。 途中大雪で30分ほど遅れるが 無事に大阪に到着。 新大阪で今回誘ってくれた原田さんが待っていてくれました。 新大阪から今回の「ハッピーニューイヤーコンサート」の会場となるよみうり文化ホールに向かいました。 この日のコンサートは2回公演で 両方ともにチケットを手に入れておりました。 まずは1回目の公演。 写真のようにミッチは晴れ着姿で登場。結構貴重な1枚だと思います。 コンサートは順調に進行し、ここでミッチは衣装換えということで、ステージから姿を消されました。 その間を利用し、余興のコーナーが始まりました。 司会進行を担当されたのが 当時漫才ブームで 吉本興業所属の「太郎&タロウ」のお二人。 (あまりメジャーではなかった模様。私だって知らなかったし その後テレビで見たこともなかったでした) 司会の太郎&タロウは、会場からランダムに10名ほどのファンをステージに上げ、1次予選としてリンボーダンスをさせる。うまく くぐれれば予選通過。 決勝はのど自慢。しかし 選手には直前まで曲目がわからない。 あとは会場の拍手の数で1等賞を決めると言う按配だ。 これを見ていた私。 「せっかく大阪に来て 知り合いもいないことだし、記念に・・・」 1回目の公演が終わり 会場前の広場にて 私が加入しておりました 堀江美都子ファンサークル 「紅」の集会に参加しました。 この集会のときに上記にあります事を考えておりました。 さて 2回目の公演が始まりました。 頭の中は余興のことでいっぱいです。 そして ミッチがステージから下がり 太郎&タロウの登場です。 私は当日持参しておりました大きなスケッチブックを大きく振り アピールをしました。それが目に留まったのか 「おいで、おいで」しているので、私はステージに向かいました。 先ほど 集会のあと ストレッチをしていましたのでリンボーダンスには自信がありました。(笑) 写真のようにミッチに見守られながら リンボーダンスは見事 クリアー! 1次予選は通過です。 予選を通過しますと 各自自己紹介となります。 マイクを向けられたので 本名を言いますと・・・ 「ひょっとして・・・遠くから来てくれたんじゃない?」 ・・・とミッチ。 司会はすかさず 「どこから来られました?」 と聞くので 「茅ヶ崎からです」 ・・・と答える私。 この頃 大阪 毎日放送(MBS)で、「ミッチの独言倶楽部」というラジオの番組の常連リスナーの仲間入りを果たしておりまして ミッチは私の名前を覚えてくれていたようです。感謝感謝。 これだけで大阪に来た甲斐があると言うものです。 さて 決勝ののど自慢。 どんな曲だろうと 思っておりましたらば、聞き覚えのあるイントロ。 「宇宙鉄人ダイケンゴー」です。放送は見ておりませんでしたが レコードが擦り切れるほど聞いておりましたので 問題なし。 盆踊りが得意な私は 即興で振り付けを交えながら熱唱しました。 会場に受けた!という実感を肌で感じました。 しかし 私は小さい頃から引っ込み思案でしてね。人前で話すことなんか、もちろん 歌を歌うことなんかできないと 自分自身思っておりました。 家に帰って母にこの話をしましたところ 写真ができてくるまで信じてくれませんでした。ある意味で これがきっかけで私は変わってゆくことになります。 決勝戦ののど自慢が終わり 会場審査となりました。 「この人が1番と思う人 拍手!」 という合図で会場から大きな拍手が!そうです。私が優勝です。 これはかなり後でわかることなのですが ファンサークル「紅」の組織票のおかげだったようで。 ご褒美にミッチより賞品を頂きました。 中身はくるっとまわせばボールペン 逆に回せばシャープペンシルで有名な「シャーボ」でありました。 思い出の記念品です。早速新学期になってから 学校で使いました。 2回目の公演が終了し ロビーで余韻に浸っておりますと ミッチーキンキというサークルの方がご挨拶に来られまして、何でも「独言倶楽部」のハガキ採用第1位に私が輝いたと教えてくれました。それで、よかったら「ミッチーキンキ」に入らないか?というお誘いを受けましたのですが、当時は私、非常にビンボーでしたので、会費を払える余裕がなく、「考えておきます」とお答えした記憶があります。 ごめんなさいね。 今回お誘いしてくれました広島の原田さんと話しをしまして、 「また会おうね」と別れましたが、残念なことに これが最初で最後になってしまいました。 私は最終の東京行きの「こだま」で帰ることになったのですが、 このときに 「大阪でミッチを見るのはこれが最後なんだろうな?」 と思っておりました。 ただね。こう思っていました。 この正月のコンサートの1週間ほど前に 渋谷で同じような公演がありました。 しかし、心無いファンが 終わりごろにステージ前にカメラを持って集まりだして写真を撮り始めてしまったのです。ストロボたくしね。 それにくらべて大阪のファンはマナーがしっかりしていまして、おまけに声援、応援がすごいのですよ。 みんなして楽しんでいるって感じがしました。 気のせいかミッチも楽しそうでネ。 そう そんな頃 関東に「紅」の支部を作ろうと言う動きがありまして、当日の集会でも 会長の方が私に声をかけてくれまして 「支部を作ろうと思うんだけど?」 でもね。そのときには私にそんな力なんか無いと思っておりましたのでね。 どう答えたかは忘れましたが、「協力します」という返事はしなかったと記憶します。 もう20年以上も昔の話なんで、うまく当時のことが伝わらないと思いますが、とにかく この日のコンサートがなければ、行かなければ 今後 私に起こる感動や事件。おまけに失恋など・・・ 一切起こらなかった・・・と思います。 すべてはこれがきっかけで始まったと思います。 |
| 朝一番の新幹線こだま号で大阪入り。 途中 大雪で遅れました。 |
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| 当日のコンサートでのミッチ | |
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| ミッチが晴れ着から衣装換えの時間を使っての余興 司会進行は漫才師の「太郎&タロウ」(現在存在しているかは 不明?) 第1次予選はリンボーダンス。 |
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| 直前まで歌う曲がわからない 私の曲は「宇宙魔人ダイケンゴー」 知っててよかった。 |
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| 本人 無我夢中で何をしたか 覚えていない | |
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| 当時も貧乏でね。 よそ行きの服を持ってなくて 学生ズボンが泣かせる・・・ |
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| 司会の太郎&タロウに 「あンた25歳でしょう?」と突っ込まれる。 当時は16歳じゃ |
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| 写真右側に 林さんと 真紀子さんがいる。 この1年半後 私は真紀子さんにホレる(笑) |
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| 真紀子さん。 実はこの時はファンではなかったことが後に判明する |
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| 組織票の力で場内投票(拍手の数)で1等賞 ミッチより記念の商品を頂く。感無量。 商品は「シャーボ」 |
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| 誘ってくれた広島の原田氏 お元気ですか? |