tokiyo-eki
「此処がお茶の水。」何かしら感慨を覚えた私は、東京の排気ガスっぽい空気の中で、清涼感を感じた。駅のプラットホームは渓谷の中に造られ、大きく迫るお茶の水橋、聖橋、取り分けて白いアーチを広げた聖橋は、その下を交差した丸の内線の電車が出入りするトンネルの出口もあり、田舎人の私には東京だ、と云う思いをさせた。其の頃、東京では未だクラシックを嗜好する若者は多かった様に思う。「あれがウイーンだよ。」東京のど真ん中にウイーンが有るとは思わなかった。まるで旧ロシアの宮殿を思わせる造りのクラシックな店の重いドアには、洒落たボーイが居て、客に声をかける。「いらっしゃいませ。」少し薄暗い店内に入ると、複雑に入り組んだ階層を木製の階段が繋ぎ、聞いた様なメロディが流れて居た。
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shinobazu
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ginza
「あれはモーツァルトだったか。ベートーベンだったか。遥かに時の彼方となった今、定かでは無い。」その当時1975年頃だったか、お茶の水駅の近くでは、「ウイーン」と「田園」と云う名の音楽喫茶が有名だった。他にも何店か有ったのでしょうが、未だ東京の西も東も判らなかった自分にとっては、知る術も無かった。その後情報誌ぴあが出て、そう云った情報も簡易に手にとれる事となった。また、もう一件有名な中野の「クラシック」と云うお店は二度程だが誘われて行った事がある。それにしてもお茶の水界隈は今でも、雰囲気のある街でお気に入りではある。何度「ウイーン」や「田園」に足を運んだか。其れは今はもう無い。
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rainbow
「ウイーン」と「田園」には友人と待ち合わせで、先に着くと一人座席でクラシックを聞いて居た。妙な文化だなと思い乍らも時々リクエストの用紙に、大好きな曲を書いて、来店時間中にお目当ての曲が流れると、何とも嬉しかった。当時新宿歌舞伎町へ行くと、カチューシャと云う、《歌声喫茶》なるものが流行っていた。田舎の兄が上京した時、歌好きの兄を連れて行った。店にはアコーディオンの小父さんが弾いていて、来客には小さな赤い歌集が手渡された。其の頃あちこちでフォークも可成り盛んになって来て居た。新宿の店もいつの間にか消えて居た。ああ云う手作りの店が残って居る時代は良いですね。マニュアル産業の現在のチェーン店にはない優しさが感じられた。
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asakusa
昔の浅草は大変な繁華街だったそうです。小生が行き始めたのは矢張り、三十年前。イメージは矢張り下町、多少鄙びた雰囲気は拭えませんでした。でも其れが良い処かも知れません。何が目的かと申せば、浅草園芸ホールでした。落語が好きで、最近こそ行けませんが、良く新宿の末広亭やら池袋の演芸場。夜も昼もと云う程じゃ有りませんが。円生、小三、小南、新朝、円窓、談志、当時もブームでしたが、寄席は結好がら空きの時も有りました。其れは其れで、寄席の魅力ですね。膝突き合わして、エンターティナーを独占したような、贅沢な気持ち。良い時代でした。
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kousoku
神保町は実に懐かしい街。都会慣れしない内は、矢鱈人波に物怖じするかも知れませんが。本好きの小生にとって若者時代から、壮年の今迄、無くては成らない街でした。黴臭いマイナーなイメージを捨てて、只管目的の分野の本を探して居る内に、もうすっかり、神保町の住人になって、あの本はあの店の此の棚当たりと?#92;想が付く様に成れば一人前、とにかく世界に冠たる魅力溢れる街です。街行く人々の目線も、銀座や渋谷、又原宿、六本木、とは矢張り違います。神保町の住人は何か住人としての誇りの様なものを持っているのではないか。アマゾンも良いが、無駄を覚悟で、入り浸って見ませんか。
神保町には、画廊、ピアノの補修店、中古楽器店、旧き時代の喫茶店、24時間パソコン出力センター、勿論古書店群、画材店、スポーツ店、紅花展示の店、カレー店ラーメン店。中々飽きさせない街です。
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