「記憶の欠片」
俺は、自分はただの高校生だと思っている。
しかし、気がついてみれば、そこは鎌倉の時代。
俺は義経――いや、九羅香と名乗る少女から、弁慶と呼ばれていた。
聞くところによると、俺は九羅香達と一緒に、平家を打ち破ったらしいのだが、正直記憶になかった。
そもそも、義経が女の子だったってだけで驚きなのに、自分が弁慶だなんて……。
信じられるはずもない。
その日の夜は、なかなか寝付けず、少し風に当たろうと、外へ出た。
バシャッ
「ん?」
何か水の音がした。
不思議に思い、音のした方へ行くと、そこのは、九羅香の副官の……、
そう、確か、佐藤紅葉だ。
紅葉は、悲痛な表情で、何度も何度も水を被っている。
何かの修行だろうか?
確か「禊」とかいうものがあったと思うが、これはその禊なのだろうか。
禊について詳しく知らないので、確かではないが……。
ただ、もしそうなら、止めるべきではないかとも思ったが、その姿は、とても見ていられるものではなかった。
「もう止せよ」
「べ、弁慶様っ?」
俺に驚いたのか、紅葉は目を丸くした。
「体が震えてるぞ。無理して体を壊したら、修行の意味もないだろ?」
「修行、ですか?」
紅葉が怪訝そうに首を傾げる。
「あ、あれ、違ったか。ま。まぁ、もう夜も遅いし、ほどほどにしとけよ。
体を壊したりすると、みんな心配するぞ。勿論、俺もな」
そう、ただ注意を促しただけなのだが、紅葉は悲しそうに目を伏せた。
「記憶が無くなっていても、お優しいのですね……」
そう呟いた紅葉は、泣いていた。
その涙は留まることなく、次々と溢れてくる。
「どうして…、どうして忘れてしまわれたのですか?
私は、一日たりとも貴方を忘れた日はなかった。
毎日毎日、貴方のことを考えて…、会いたいって……」
悲痛な叫び声が、夜の闇に木霊する。
「弁慶様にとって、私はその程度の存在だったのですね……」
ぽそりと呟いたその言葉。
紅葉の涙。
それが、やけに胸を締め付けた。
「嘘じゃない……」
気付けば、俺は紅葉を抱きしめていた。
紅葉の体は、ぐっしょりと濡れ、冷たかった。
「お前をあの時、俺の時代に連れて行きたいと思った気持ちは、嘘じゃない。
俺はあの時、紅葉とずっと一緒にいたいと思ったんだ」
そうだ。
俺は、目の前のこの少女と一緒にいたいと。
紅葉を守っていきたいと思ったんだ。
「べ、弁慶様……、記憶が……」
紅葉が驚いたように、俺を見上げる。
「いや、全部の記憶が戻ったわけじゃなくて…、何と言うか、断片的に戻ったと言うか……」
何となくは思い出してきたが、それでもそれはまだほんの僅か。
殆どの部分は霧が掛かったように、思い出すことが出来ない。
糠喜びさせてしまっただろうかと思ったが、それでも紅葉は微笑んで、言ってくれた。
「今は、それでも充分です」
そう言って、紅葉はきゅっと俺の背中に手を回してきた。
「でも、いつかは……」
俺は、紅葉を抱く腕に先程より少し力を込めた。
「あぁ、きっと思い出すよ」
殆どの記憶は無くしたままだが、この温もりを守りたい気持ちを思い出した。
だからきっと、残りの記憶もすぐに戻る。
腕の中の温もりが、そう確信させた。