コンコン
「乃梨子、入るよ」
ノックの音と共に、姉の祐巳が部屋に入ってくる。
まだいいと言ってないのにだ。
これではノックの意味がない。
まぁ、いつものことなのだが……。
「姉さん、何か用?」
乃梨子は読みかけの『日本の仏像 写真集』という本から、目を離さずに言った。
「む、相変わらず仏像してるわね」
(仏像してるって、そんな動詞ないわよ)
そう思ったが、面倒なので突っ込みは入れない。
「用がないと来ちゃいけないの?あなたの大好きなお姉ちゃんが遊びにきたのに」
「それだと私が姉さんを好きみたいに聞こえるけど」
「そうだけど?」
「やめてよね。迷惑」
「うゎ、我が妹ながら酷い毒舌」
それでもあまり気にした風でもなく、祐巳は続ける。
「ところで乃梨子、明日は何の日かな?」
「『京子の京都仏像めぐり旅日記』の発売日」
「何それ。買うの?」
「予約済み」
祐巳はこめかみを押さえて唸った。
まぁ呆れているのだろう。
「違うよ、もう。あしたはバレンタイン・デー、だよ」
「あぁ、そうだったわね」
そう言って、乃梨子はページをめくる。
それに、少しムッとなった祐巳が本を取り上げる。
「あっ」
取り返そうと思ったが、本は背中に回され、祐巳はむ〜と乃梨子を睨んでいる。
乃梨子はやれやれと溜め息をついた。
どうやら返してくれる気はないらしい。
「分かった。話聞くよ」
そう言って、乃梨子はもう一度溜め息をついた。
「別に無理に聞いてくれなくていいもん」
しかし、祐巳はすっかりヘソを曲げてしまっていた。
どうしたものか、と乃梨子は三度目の溜め息をつく。
「バレンタインって言っても、女子校のリリアンじゃ、あまり関係ないんじゃない?」
「あっ、それ違うよ。リリアンでも、バレンタインはとっても大切なイベントなんだよ」
機嫌が悪そうだった祐巳だが、乃梨子の話にあっさり乗ってくる。
我が姉ながら単純だと、次は心の中で溜め息をついた。
「私も去年お姉さまに渡したし、貰いもしたよ」
「えっ?」
今何と?
貰った?
誰が?
誰に?
何を?
「あっ、動揺してる?もしかして、ヤキモチ?」
何だかわくわくした顔で、祐巳に顔を覗き込まれた。
「そ、そんなことない。ヤキモチなんて妬くはずないでしょ?」
「え〜、でも真っ赤になって言っても説得力ないよ?」
そう祐巳に頬をぷにっとつつかれた。
「乃梨子は誰かに渡さないの?私にだったら、いつでも大歓迎だよ?」
すっかりにやけきった顔が何だか無性に腹ただしく、乃梨子はつい、
「姉さんになんて、挙げるわけないでしょ。姉妹でそんなことするなんて、気持ち悪いよ」
言った後で、「しまった」と思った。
言いすぎた。
「あっ……」
謝ろうと思ったが、それより先に、祐巳が口を開いた。
「酷いなぁ、乃梨子は。あ〜、しょうがないから、瞳子ちゃんにねだろうかな」
(気にして、ないのかな?)
その軽口を叩く祐巳は、いつもの祐巳だ。
ただ、乃梨子がああ言った直後、何だかとても悲しい顔をしていた気がした。
「じゃあ、私はもう寝るね。乃梨子も、あまり夜更かししないようにね」
祐巳は背中に回していた本を乃梨子に返すと、ぐ〜と背伸びをした。
「それじゃあ、おやすみ、乃梨子」
「うん、おやすみ……」
見送った祐巳の背中は、何だか寂しそうだった。
「最悪……」
返された本も、続きを読む気にはなれず、乃梨子はベットに寝そべった。
「どうして、いつもこうなんだろう……」
鞄の中には、祐巳の為に買ってきたチョコが入っている。
それなのに、自分はいつも素直になれない。
「お姉ちゃん……」
本人の前では、口にしない呼び方。
いつからか、自分の姉は大人になってしまったように思う。
自分の知らない友人が増えた。
紅薔薇のつぼみの妹となり、山百合会の一員となった。
置いて行かれてしまうような、そんな焦燥感に囚われた。
だから、姉に追いつこうと、背伸びをしてしまう。
「姉さん」と呼ぶのは、その為だ。
それでも、姉は変わらずに接してくれる。
それが嬉しくて、つい甘えてしまう。
つい、傷付けるようなことも言ってしまう。
本当は、あんなことを言いたかったんじゃない。
本当は……。
次の日の学校。
周りはやれバレンタインだ、紅薔薇さまに渡したいとか、黄薔薇さまに渡したいとかで盛り上がっている。
しかし、乃梨子は昨夜のことが尾を引いて、溜め息ばかり漏らしていた。
朝、祐巳はいつも通りだった。
その所為で、結局は謝れずじまい。
いつも、そんな姉に甘えきっていることが、嫌だった。
「どうしたんですの。昨夜祐巳様とケンカして、それを謝れずに落ち込んでる様な顔をして?」
「あんたはエスパーかっ?」
「まさか。乃梨子さんが分かり易いだけですわ」
「いいや、そんな筈はない。こいつはエスパーだ」というような疑いの眼差しを向けたが、瞳子は特に気にした風ではない。
「今し方、祐巳様にチョコレートを渡してきましたわ」
その言葉に、乃梨子はピクッと反応した。
「動揺してますわね?」
瞳子はにやにやと乃梨子を見やった。
「そ、そんなことないわよ」
「そうですか。でも、知ってまして?祐巳様、とても人気者でいらしたわよ。たくさんのチョコレートを抱えていらしたわ」
「そ、それは、単に姉さんが山百合会の人間だからでしょ?」
「まさか。由乃様や志摩子様の二倍はありましたわよ」
「…………………」
「あら、急に黙って、やっぱりヤキモチですの?」
「そんなんじゃないって言ってるでしょ」
そう言って、乃梨子は立ち上がり、ドアの方へ歩き出した。
「どちらへ?」
「散歩よ」
それだけ言い捨てて、乃梨子は教室を出た。
「瞳子さん。少し苛めすぎですよ」
「あら、可南子さん」
一部始終を見ていた可南子が、乃梨子がいなくなったのを見計らって、瞳子を咎める。
「そんなことありませんわ。乃梨子さんがさっさと素直になればいいだけの話ですから」
「それが出来ないから苦労しているんでしょ?」
「乃梨子さんは、ただ甘えているだけですわ。祐巳様の優しさに」
「そうかもしれないけど……」
容赦ない言いように、可南子は口ごもる。
「それに、少しくらいたきつけた方が、乃梨子さんにはいいかもしれませんわ」
「今まで素直になれなかったのが、急に出来るわけないでしょう」
「あら、分かりませんわよ」
そう言って、瞳子は不敵に笑った。
「今日は、バレンタイン・デーですから」
なんだか、無性に腹が立っていた。
瞳子のあのにやにやした顔も腹が立つが、なにより、瞳子に図星を指されたことが痛かった。
『やっぱりヤキモチですの?』
その通りだ。
自分はヤキモチを妬いている。
姉が、自分が顔も知らない女子生徒からチョコレートを貰っているなんて……。
それを考えると、どうしようもない苛立ちを感じた。
「あれ、乃梨子?」
前から、聞き慣れた声が聞こえた。
顔を上げると、祐巳が数人の女子生徒に囲まれていた。
その子達から貰ったのか、手にはチョコレートを抱えている。
「それでは祐巳様。私達はこれで」
「あっ、うん。ありがとね」
祐巳にチョコレートを渡すという目的を果たしたその子等は、顔を真っ赤にして、それでも嬉しそうに、その場を立ち去った。
「珍しいね、学校で乃梨子に会うのは」
祐巳はいつもと変わりない、屈託のない笑顔で話しかけた。
その笑顔が、逆に乃梨子を苛立たせた。
「嬉しそうね」
「ん?あぁ、これ?なんだか私、意外に人気あるみたい」
「そう……」
意外……?
「鈍いなぁ……。」と、乃梨子は思った。
祐巳のあの向日葵の様な笑顔。
その笑顔に、どれだけ人を惹きつける効果があると思っているのだろうか。
それは、ずっと自分に向けられてきたもので……。
ずっと、自分にだけ向けられるものだと思っていた。
けれど、今の祐巳は紅薔薇のつぼみとして、全ての生徒達にその笑顔を向ける。
子どもっぽい我侭であることは分かっている。
ただ、『自分だけのお姉ちゃん』でなくなるのが嫌なのだ。
「なによ、バカみたいにへらへらしちゃって」
苛立ちが募る。
だから、また自分の意思に反して、口が動く。
「そうやって、ちやほやされて、バカみたいに笑ってればいいじゃない」
「乃梨子?」
「いいよね、紅薔薇のつぼみってだけで、みんなからちやほやされて。嬉しいよね。
姉さん、特に取り柄も無いし、今までもてた経験も無いし。まぁ、もててるって言っても、同性からだけど。
あの子達だって、何考えてんだろう。女同士でチョコ送って。もしかしたら、姉さんに気があるのかもね。
そんなの、気持ち悪い……」
「乃梨子っ!」
「っ!」
突然の祐巳の怒鳴り声に、乃梨子は体をビクッと震わせた。
今まで聞いたことがなかった、祐巳の怒鳴り声。
祐巳を見ると、本気で怒っているようだった。
「乃梨子。それ以上言ったら、許さないからね」
「………………」
「私のことなら、何を言ってもいいよ。だけど、あの子達のことを悪く言ったら、ダメだよ。
あの子達は、わざわざ私の為にこのチョコレートを用意して、渡しに来てくれたんだよ。
それは、きっと勇気がいったと思う。私も、去年お姉さまに渡す時、凄くドキドキしたもん。
だから、そんなあの子達のこと、悪く言ったらダメだよ」
「ごめん…なさい……」
それだけ言うので、精一杯だった。
本気で怒ることなど滅多に無い祐巳を、本気で怒らせた。
本気で怒らせてしまった自分が、凄く情けなく、悲しかった。
祐巳と別れた後、乃梨子は屋上に登った。
なんとなく、教室には帰りたくなかった。
乃梨子は、生まれて初めて、授業をサボった。
二月の屋上は、とても寒かった……。
どれだけの時間が過ぎただろうか。
授業終了のチャイムがなり、放課後になっても、乃梨子はそこから動かなかった。
「あ、こんな所にいた」
呆れた様な声。
乃梨子が振り返るのと、祐巳が溜め息をつくのと同時だった。
「サボったんだって、授業?」
乃梨子は黙って頷く。
「あぁ、とうとう妹が不良に……」
よよよ、っと泣きまねをして見せるが、乃梨子の反応がないので、もう一度溜め息をついた。
そして、ふと真面目な顔になった。
「ごめんね、怒鳴っちゃって。それ、気にしてるんだよね?」
「そんなこと……」
口では否定しても、それが嘘だということは、祐巳にはバレているだろう。
乃梨子はそれが恥かしく、祐巳から視線を逸らした。
「乃梨子、これ」
おずおずと、後ろから何かが差し出される。
小さな、長方形の箱。
「バレンタインの、チョコレート。仲直り、しよ?」
あぁ、どうして、この人はこんなにも優しいのだろう……。
自分が一方的に悪かったというのに。
「気持ち悪いって言われちゃったけど、もう買った後だったし。
乃梨子の為に買ったんだから、他の人にあげるのも変だし。受け取ってくれるかな?」
どうして、こんなにも優しくしてくれるのだろう……。
どうして、こんなにも気遣ってくれるのだろう……。
「え、ちょっと、乃梨子?」
気が付くと、目から涙が溢れていた。
祐巳があたふたとハンカチを取り出し、目に当ててくれる。
「ど、どうしたの?あ、もしかして、もう私のこと嫌いになった?」
祐巳の言葉に首を振り、そのまま祐巳の体に腕を回した。
「乃梨子?」
「ごめんなさいっ。ごめんなさい……。ごめん…なさい……」
泣きじゃくる乃梨子の背中を、祐巳はポンポンと叩いた。
「もう、怒ってないよ」
それに乃梨子は再び首を振る。
「私、今まで…お姉ちゃんに…酷いこと……」
「そのことも、大丈夫だから。分かってるよ、ちゃんと。
私は、あなたのお姉ちゃんだからね」
涙が祐巳の制服に吸い込まれて消えていく。
長時間屋上にいたことで、冷え切った体。
祐巳に抱きしめられることで、冷えた体に、温もりが通う。
それはまるで、春の陽だまりの中にいるような心地良さだった。
「乃梨子。あなたは、私の妹なんだから、もっと甘えていいんだからね」
「今でも、充分甘えてるよ?」
「でも、気兼ねしてるでしょ。遠慮なんてしなくていいんだよ。姉妹なんだから」
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」
そう言って、乃梨子は祐巳の胸に顔を埋めた。
そんな乃梨子の髪を、祐巳はそっと撫でた。
(教室に帰ったら、私もお姉ちゃんにチョコを渡そう。でも、今はもう少し、このまま……)
祐巳の体温。
髪を撫でる手。
その心地良さを、もう少しかみ締めていたかった。
そして、
「お姉ちゃん、大好きだよっ!」
大好きなあなたへ、感謝を込めて―――
――――――――――――
あとがき
あ〜、12時回った……。
やはり間に合わなかった……。
さて、ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
如何でしたでしょうか?
なんだかまた無駄に長くなったような……。
しかも、今回は下書き無し。
いつもはルーズリーフに下書きをして、それから打ち込むんですが、
今回は一発打ち(そんな言葉あるのか?)
いつも以上に頭がこんがらがりました。
祐巳と乃梨子の実の姉妹という話をやってみたかったので、やってみました。
私にとって初めて、乃梨子が祐巳に対して敬語でない話。
書き辛かった……。
でも楽しかったので、機会があればまたやりたいです。
そして、私が書くと何故瞳子はいつも乃梨子をからかうんだろう……。
それでは、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
繰り返し、お礼を述べさせて頂きます。
楽しんで頂けたのなら、私にとって、それ以上の幸福はございません。
では、またの機会に。
20060214 御神楽華音