コンコン

「乃梨子、入るよ」

ノックの音と共に、姉の祐巳が部屋に入ってくる。
まだいいと言ってない。
本当にいつものことなのだが……。

「どうかしたの?」

視線を読んでいた本から祐巳に移す。
すると祐巳の視線は乃梨子の手の本に注がれていた。
ふいにしゃがみ込んで、本の表紙を見る祐巳。
そこには、『京子の京都仏像めぐり旅日記』とあった。

「本当に買ったんだ……」
「当然」

これの発売日をどれ程待ち侘びたか。
京都にある、あらゆる仏像をあらゆる角度から撮影した一冊。
これを買わずして仏像マニアは語れまい。(意味不明)

「ところで、今日はどんな用?」
「ん、用がないと来ちゃいけないの?折角あなたの大好きなお姉ちゃんが遊びにきたのに」
「その会話は昨日したからいいよ」

「飽きないなぁ」と乃梨子は溜め息をついた。

「まぁまぁ、今日はちゃんと用を用意してきたよ。ん、今日も、かな?」
「用を用意って、日本語変じゃない?」
「いいの、意味が伝われば」
「でも言葉の乱れは風紀の乱れって誰かも言ってたし……」
「もう、い・い・か・ら。これ」

そう言って、祐巳は見覚えのある箱を差し出した。
今日、祐巳に渡したチョコレートだ。
それを見るやいなや、乃梨子はムッとしてそっぽを向いた。

「そうだね。姉さんいっぱい貰ってたもんね。私のなんていらないよね」
「あ〜、そうじゃないから」

背中を向けていた乃梨子は、祐巳の手により、180℃回転させられる。

「まぁ、乃梨子の言うとおり、今年はチョコレート沢山貰って、
流石に食べきるのはちょっと大変だなぁ、とは思うけど。
乃梨子からのチョコをいらないなんて、言うわけないでしょ?
他の誰からよりも、一番嬉しかったよ」
「姉さん……」

耐え切れず、乃梨子は再びぷいっと顔を逸らした。
どうしてそんなことを、恥かしげもなく言えるのだろうか。
どうかしてる。
う、嬉しいけど……。

「あ、照れてる照れてる」

つんつんと祐巳に頬をつつかれる。

(照れるに決まってるでしょっ)

天真爛漫と言おうか、無邪気と言おうか。
そんな姉が少しばかり恨めしかった。

「で、そのチョコがどうかしたの?」

顔は背けたまま。
視線だけを動かして訊ねる。

「うん、一緒に食べよう」
「一緒に?」

乃梨子は怪訝そうに首を傾げる。

「うん。折角乃梨子に貰ったんだし、一人より、二人で食べた方が美味しいでしょ?」
「そう、なの?」
「うんっ」

屈託の無い笑顔。
そんな風に言われると、不思議とそう思えてくる。

「じゃあ、一緒に食べる」
「うん。じゃあ、はい、あ〜ん」
「え……?」

乃梨子は固まった。
目の前には、チョコを差し出し、満面の笑みの祐巳。
乃梨子が送ったチョコはトリュフチョコレート。
つまり、大きさはピンポン玉よりちょっと小さいくらいで、
それを「あ〜ん」なんてして食べたら、祐巳の指に触れる可能性も。
いや、そもそも「あ〜ん」自体が恥ずかしい。

「いや、自分で食べれるし。そもそも、私が先に食べるのも変でしょ。姉さんに送った物なんだし」

そう言って、乃梨子は思いっきり後ずさった。

「そう?」

祐巳はというと、チョコを一旦箱に戻し、それを乃梨子へ差し出した。

「じゃあ、乃梨子が食べさせて」

そう言って、乃梨子の方へ口を突き出す。

(そうキやがりますか、この姉はっ)

乃梨子は心の中で思いっきり叫んだ。
しかも、祐巳は目を閉じ、チョコが入り易いようにか、僅かに顔を上に向けている。
これで、もう少し口が閉じていたら、まるでキスをせがんでいるかのように見える。

(って、何考えてんだ私は。変態かっ!)

乃梨子は心の中で突っ込みを入れる。

「乃梨子、まだ〜?」

ずっと口を開けたままの祐巳が、薄っすらと目を開けて不満を言う。

(やるしかない、か……)

乃梨子は忘れていた。
自分はずっと姉に甘えてきた。
しかし、姉も自分に負けず劣らずの甘えん坊だということを。
そして、言い出したら聞かないということを。

「あ、あ〜ん……」

箱からチョコを一つ摘み、そっと祐巳の口に運ぶ。
緊張で手が震え、恥ずかしさで逃げ出したい程だった。
それでも、なんとか祐巳の口にチョコを入れることが出来た。

「ん……」

懸念していたとおり、指が祐巳の唇に触れた。

(うわ〜っ)

祐巳の唇の感触が、より一層、乃梨子をドキドキさせた。
祐巳は数回咀嚼した後、こくっとそれを飲み込んだ。

「はい、じゃあ、今度は乃梨子の番ね」

そう乃梨子に再びチョコを差し出してくる。

(あぁ、やっぱりきた……)

予想していたとはいえ、やはり辛い。

(まぁ、いいか……)

一度恥ずかしい思いをしたのだ。
一度も二度も同じだ。
そうやって人は堕ちていくのだ。
そう腹をくくり、乃梨子はおずおずと口を開けた。

「はい、あ〜ん」

祐巳の手により、チョコが乃梨子の口に。
唇に、祐巳の指がそっと添えられた。
口の中に入れられたチョコは、口の中でふんわりと溶け、
その甘さが口いっぱいに広がった。

「甘い、ね」
「チョコだからね」

そう言って、二人は同時に笑った。
そして二人は、交互にチョコを食べさせ合った。

 

「あ〜ぁ、もう無くなっちゃった」

空になった箱を見て、祐巳が残念そうに呟く。

「あんまり食べると、ニキビができるんじゃない?」
「うっ、それは痛い……」

それでも「残念だなぁ」と祐巳は呟く。
すると、何か思いついたように目を輝かせた。

「ねぇ。私が乃梨子にあげた……」
「あれは駄目」

全部言い終わらないうちに、乃梨子は拒否する。

「え〜、どうして〜?」

祐巳は不満そうに口を尖らす。

「あれは私が独り占めするの」
「え〜。二人で食べた方が美味しいよ〜」
「それでも駄目」
(だって、折角姉さんから貰ったんだし)

「ね〜ね〜」とまとわり付く祐巳に、ぷいっと背中を向ける。
すると、祐巳に後ろから抱きしめられた。

「私からのチョコ、嬉しかった?」
「…うん。嬉しかった」
「そう。良かった」

祐巳に抱き寄せられるのを感じて、その腕にそっと自分の手を添える。

「ところで、乃梨子?」

優しかった祐巳の声が、何だか悪戯を思いついたような、そんな楽しげな声に変わった。

「もう『お姉ちゃん』って呼んでくれないの?」
「うっ……」

乃梨子は言葉を詰まらせた。
屋上では感情が高ぶって、つい「お姉ちゃん」と呼んでしまったのだ。
あれ程呼ぶまいと決めていたのに。

「よ、呼ばない……」
「え〜、どうして?」
「それは……」

乃梨子は祐巳の腕を解いて、祐巳に向き直った。

「私ね、姉さんのことが大好き。優しいし、甘えさせてくれるし。
姉さんに甘えているの、凄く、心地いいし、好き。だけど、なんだか、恐いんだ。
私、今のままだと、姉さんがいないと、何も出来ない人間になっちゃう。
私、姉さんのことは好きだけど、姉さんに寄り掛かって生きたくない。二人で、肩を並べて生きていたいの。
『お姉ちゃん』って呼んじゃうと全部姉さんに依存してしまいそうで恐い。
だから、もう『お姉ちゃん』って呼ばない」

長い告白を終えた乃梨子を、祐巳は抱きしめた。
今度は正面から。

「私は、どんな時でも、あなたの隣にいるつもりだけど、あなたがそう決めたのなら、そうしたらいいよ」
「うん……。ごめんね、我侭言って」
「何言ってるの。姉が妹の我侭を聞いてあげなくて、どうするのよ」
「うん、ありがとう……」

乃梨子は祐巳の背中にぎゅっと腕を回した。

「でも、偶には、いいよね。こうやって、甘えても」
「勿論。私は、あなたを甘やかすことが生き甲斐なんだから」
「そうなんだ」

乃梨子はくすっと苦笑を漏らした。

 

「姉さん」と呼ぶとことで、姉と対等になろうと、背伸びをしていた。
だけど、もう背伸びはしない。
甘える時は、思いっきり甘える。
尚且つ、姉と肩を並べて歩む。

これからも、大好きな姉さんと共に――
          これからも、一緒にいようね――

 

 

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あとがき

前回のFor You。
続編を希望しておられる方がいらっしゃり、書いてみました。
え〜、如何でしたでしょうか?
バレンタインのチョコのような甘さを表現できてたらいいなぁと思います。

私は誰かに甘えるのも、甘えられるのも嫌いではありません。
しかし、依存したり、寄り掛かって生きるのは好きではありません。
「あなた無しじゃ生きていけない」みたいなセリフは正直嫌いです。
なので、今回、甘えつつ、寄り掛からず、という乃梨子の決意を表してみたわけですが……。
楽しんで頂けたらいいなぁと思います。
楽しんで頂けたのなら、それ以上の幸福はありません、本当に……。

ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
またの機会がありますことをお祈り申し上げます。

20060216 御神楽 華音

 

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