下の階から、ドタバタと落ち着きのない音が聞こえてくる。
明日、姉の祐巳が大学進学の為、この家を出る。
その準備が慌しく進んでいた。
しかし、乃梨子は我関せずという様に、部屋で一人、音楽を聞きながらボーっとしていた。

最近、なんだかイライラしている。
原因は分かっている。
姉が、この家からいなくなる。
それは、とても寂しいことだ。
だから、出発の準備など手伝わない。
姉がここからいなくなる手伝いなど、誰がするものか。

トントン

部屋の扉がノックされた。

「乃梨子、入るよ?」

こちらの返事も待たずに、祐巳が入ってくる。

「何?」

乃梨子はぶっきら棒に答えた。
祐巳とまともに口を聞くのは久しぶりだ。
最近は部屋に篭ってばかりで、祐巳を避けていたからだ。

「う〜ん、まぁ、ちょっと……」

そう言って、祐巳は乃梨子の隣にちょこんと座った。
ぴったりと寄り添われたので、祐巳の肘が当たった。

「明日、行くから。だから、その前に乃梨子と話がしたくて」
「そう……」

乃梨子は、祐巳の顔を見ないように答える。
祐巳と話したいのは、こちらとて同じ。
それでも、ずっと我慢してきた。
祐巳の為に……。

「ほら、私がいなくなるから、乃梨子が寂しがるかなぁ、と思って」
「っ!」

その言葉に、ドキリとした。
何故、この人にはこうも心を見透かされてしまうのだろうか。
だから、それが悔しくて、つい意地を張ってしまう。
そして、心にもないことを言ってしまうのだ。

「そんなわけないでしょ。姉さん、ちょっと自意識過剰だよ」

言い過ぎた。
そう思っても、後の祭りで……。
「せめて、謝らないと……」と思い、祐巳の方をチラッと見る。
けれど、そこにはいつもと変わらない笑顔の祐巳がいた。
その笑顔を見ると、何も言えなくなってしまう。
そして、自己嫌悪に苛まれる。
いつだって、そんな悪循環なんだ。

「そっか、ごめんね」

そうやって、祐巳はいつだって笑顔をくれる。
悪いのは自分で、謝らないといけないのも自分なのに。

「寂しいのは、私の方なのにね」
「え?」

突然、祐巳に後ろから抱きしめられた。
祐巳から視線を外していた乃梨子は、何も反応が出来なかった。

「ちょ、姉さんっ?」

慌てた乃梨子は、祐巳を引き剥がそうとするが、思ったより強く抱きしめる祐巳が、それを許さなかった。

「明日から、こうやって乃梨子を抱きしめることが出来なくなっちゃうのは、やっぱり寂しいよ」
「姉さん……?」
「でも、明日からは一人なんだから、こんな弱気じゃダメだよね」

そう言って最後にギュッと抱きしめられて、その温もりが離れた。

「それじゃ、おやすみ」

背中から向けられた声に、乃梨子は振り返ることが出来なかった。
祐巳があんなことを言うから、つい引き止めてしまいそうになった。
「行かないで」と……。
そんな子どもじみた我侭で、祐巳を困らせるわけにはいかない。
そんな子どもじみた我侭で、祐巳の足を引っ張るわけにはいかない。

扉が閉められて、乃梨子は漸く振り返った。
祐巳が出て行った後の、無機質な扉を見つめる。

「私だって、寂しいよ……。寂しいに、決まってるでしょ……」

そう乃梨子が呟いた言葉は、誰に聞かれるでもなく、部屋の中で四散した。

 

 

 

 

次の日、祐巳が出る頃を見計らい、乃梨子は車からバイクを出し、エンジンをふかした。
そこへ、丁度祐巳が出てくる。

「あれ、乃梨子。何処か行くの?ツーリング?」

リリアンでは、バイク通学が認められていない。
それ故、乃梨子がバイクに乗るのは、休みの日にツーリングに行く時くらいである。
だから祐巳はそう聞いたのだろうが、今日はツーリングに行く為にバイクを出したのではない。

「送っていくから、乗って」
「えっ?」

祐巳は初め、きょとんと乃梨子を見た後、

「いいの?」

と聞いた。

「別に、暇だし……。それに、姉さん、前に後ろに乗りたいって言ってでしょ?だから……」

口ではそう言ったが、そんなのは口実にすぎない。
ただ、祐巳と少しでも長く一緒にいるための……。

「うん、ありがとうっ」

それでも、祐巳は満面の笑みで頷いてくれた。
元々祐巳を送っていくことになっていた父は、
「やっぱり二人は仲がいいな」と、少し寂しそうに笑った。
乃梨子はそんな父に、心の中で謝った。

家族たちに見送られ、祐巳はバイクの後ろに乗り込んだ。

「じゃあ、行くよ?」
「うんっ」

祐巳はそう頷くと、乃梨子の腰に回した腕に、ギュッと力を込めた。
それを確認すると、乃梨子はバイクを走らせた。

バイクを走らせながら、乃梨子は考えた。
一体、自分は何をやっているのだろうか……。
駅まで送って、見送りをして……。
そんなことをしたら、絶対に祐巳を引き止める。
そんなの、祐巳を困らせてしまうだけだ。
それでも……。

前方の信号が赤に変わったので、ブレーキを掛けてゆっくり止まる。
止まっている間、横目で後ろの祐巳を盗み見た。

(それでも、私は少しでも長く、姉さんと一緒にいたい……)

信号が変わり、乃梨子は再びバイクを走らせた。

 

 

駅に着くと、乃梨子は入場券を買い、ホームの中まで祐巳に付いて行った。

「別に、そこまでしてくれなくてよかったのに……」

そうは言っても、やはり嬉しいのか、心成しか頬が緩んでいる。

「一人で待ってるのも退屈でしょ。それまで、いてあげるよ」
「うん、ありがとう、乃梨子」

それから、ベンチに腰掛け、とりとめのない話をして過ごした。
もっとも、殆んどは祐巳が喋って、乃梨子が相槌を打つだけだったが……。
もう直ぐ、祐巳は行ってしまうのだと、そう考えると、思ったように話が出来ない。
一方の祐巳は、別れを惜しむように、話が途切れないように話し続けた。
それでも、時間は確実に過ぎていき、電車がくる時間となった。

『間もなく、○番ホームに、列車が参ります。』

到着のアナウンスが掛かる。
もう、お別れだ。

「それじゃあ、乃梨子。行ってくるね」

そう言って祐巳が腰を浮かす。

(いやだ……)

「元気でね。山百合会のみんなにも宜しく」

(そんなの、いや……)

「じゃあ、またね、乃梨子」

「いやっ!」

背中を向けられた瞬間、乃梨子は叫んだ。
その背中が遠ざかってしまわないように、しっかりと祐巳を抱きしめた。

「いやだ…行っちゃやだよ……」

案の定だ。
きっと、自分は今、祐巳を困らせている。
けれど、もうどうしようもなかった。
自分では、止められなかった。

「お願い、行かないでっ。いなくならないでっ」

祐巳は、そんな泣きじゃくる乃梨子の手に、そっと自分のそれを重ねた。

「ありがとう、乃梨子」

そう言って、その手をそっと解いて、乃梨子に向き直った。

「でも、ここに残ることは出来ないよ。私は、自分の夢を叶える為に、ここを離れるんだから」
「だけど、私…姉さんがいないと、ダメだもん……。姉さんがいないと…私、何も出来ないよ……」

涙が止め処なく流れて、地面にシミを作る。
祐巳は乃梨子の頬に自分の手を添えて、

ぺチッ

と乃梨子の頬を挟んだ。

「乃梨子。あなたは、誰?」
「え?」
「あなたは、私の妹なんだよ。私の妹はね、もっと、強くて、かっこよくて、可愛いんだから。
だから、もう泣かないで」
「でも、私……」

祐巳は、頬に添えていた手を、乃梨子の頭に回し、そのまま乃梨子を抱き寄せた。

「大丈夫。あなたなら、絶対に大丈夫」

そう言って、子どもをあやす様に、ゆっくりと乃梨子の髪を撫でた。
そうされると、何故だか不思議と落ち着いてくる。
それはきっと、昔の影響だろう。

乃梨子は、子どもの頃は泣き虫だった。
ちょっとしたことで、直ぐに泣いていた。
その度に、祐巳が抱っこして、慰めてくれた。

「あなたは、来年は薔薇さまになるんだから。こんなことで、泣いてちゃだめだよ」
「こんなことじゃないもん。私にとっては、大きいもん……」

祐巳に抱かれている所為か、つい口調が子どもっぽくなってしまう。
だから、これ以上子どもっぽいところを見せたくなくて、乃梨子は祐巳から放れた。

「でも、ごめん。我侭言って。もう、平気」
「ううん、嬉しかったよ。乃梨子の『お姉ちゃん大好きっ』って気持ちが伝わってきたから」
「なっ!」

その途端、顔を真っ赤にして反論しようとした乃梨子だが、祐巳の目が、

「そうでしょ?」

と言っていたので、乃梨子は反論を諦めた。
そして、

「うん、好きだよ……」

と、祐巳から視線を外して呟いた。

「うん、ありがとう。私もね、乃梨子が好き。だからね、きっと帰ってくるよ。だからそれまで、ちょっとだけ、お別れ」
「うん……」

乃梨子は頷いて、祐巳の手をそっと握った。

「でも、やっぱり寂しいから…電話してもいい?」
「うん、勿論だよ」
「本当に?本当にするよ?たくさんするよ?」
「うん、本当に。私だって、寂しいからね。乃梨子の声が聞けるなら、大歓迎だよ」

そして、祐巳が電車に乗り込む。

「休みになったら、帰ってきてよね」
「うん、分かった」

プシューという音と共に、乃梨子と祐巳を鉄の壁が隔てる。

「絶対だよ、約束だよっ」

祐巳にはもう聞こえなくても、それでも懸命に叫ぶ。
ゆっくり、ゆっくりと祐巳が離れていく。

「私、頑張るから。姉さんがいなくても、頑張るからね」

離れていく祐巳に、懸命に手を振る。
祐巳もそれに応えて手を振ってくれる。

「姉さぁぁぁぁんっ」

乃梨子は叫んだ。
周りの目なんて気にすることなく。
祐巳に向かって、力一杯叫んだ。
そして、祐巳を乗せた電車は、見えなくなった……。

「姉さん……」

乃梨子の目からは、再び涙が溢れてきた。

「っ!」

乃梨子は手でぐいっと涙を拭った。

自分の姉は、自分なんかより、よっぽど大人だった。
ただ泣きじゃくるだけの自分を、優しく慰めて、諭してくれた。
自分より、たったひとつ上なだけなのに。
自分も、あんな風になれるだろうか。
いいや、なるんだ。
なんてったって、自分はあの姉の妹なのだ。
なれない筈がない。

(私、もっと強くなるよ。姉さんが自慢できるような、そんな妹になるから。だからそれまで、暫くお別れ)

乃梨子は踵を返して、ホームを後した。

「でも、電話は毎日するからね、姉さん」

乃梨子は最後にもう一度、首だけを振り返り、今はもういない、祐巳に向かって言った。

 

 

―――――――――――――――――

あとがき

どうも、御神楽 華音です。
約一ヶ月ぶりのSS更新です。
はい、遅くてすいません……。

今回はバレンタイン以来の、祐巳×乃梨子、実姉妹設定でした。
相変わらずの意地っ張り&甘えん坊の乃梨子でした。
如何でしたでしょうか?
少しでも楽しんで頂けたのであれば幸いです。
では、またの機会がありますことをお祈り申し上げます。


20060522 御神楽 華音

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