「祐巳様って、案外意地悪ですよね」
二人だけの薔薇の館で、乃梨子はボソッと言った。
因みに、他の山百合会のメンバーは、部活だったり、家の事情だったりで、今日は来ていない。
「えっ、私何かしたっけ?」
祐巳は怪訝そうに首を傾げた。
「私と初めて会った時のこと、覚えてますか?」
「うん。勿論覚えてるよ」
祐巳は手で銃を形どって、バンッと乃梨子を撃つマネをした。
「いえ、そっちの方は忘れて頂いて結構ですから」
乃梨子はバツが悪そうに苦笑した。
「あの時、また会えますか、と訊ねた私に、同じ学校なんだから、何時でも会えるよ、と仰いましたよね」
「うん、言ったね」
詳しく覚えてるなぁ、と感心しながら祐巳は頷く。
「でも、薔薇の館のことを教えて下されば、もっと簡単に会えたのではないですか?」
「う〜ん、そうなんだけど……」
次は祐巳がバツが悪そうに苦笑する。
「私に会いたいなら薔薇の館に来い、みたいな、上からものを言ってるみたいで、何か嫌だったんだよね」
「別に、かまわないのに……」
乃梨子は祐巳に聞こえないように、ぽそりと呟いた。
ただ、すぐ隣に座っている祐巳には、ちゃんと聞こえていた。
「乃梨子ちゃん。学校、楽しい?」
マリア像に対して、ああいった行為をする乃梨子は、望んでここにいるわけではないと、祐巳は考えていた。
それでも、リリアンに来た以上は、ここでの生活を楽しんでほしい。
それが、祐巳の願いだった。
「えぇ、楽しいです」
普段はクールな乃梨子が、フッと微笑んだ。
その笑顔が思っていた以上に可愛くて、祐巳もつられて微笑った。
乃梨子の方は、「貴方に会えるから」という言葉が喉元まで出ていたが、結局、恥ずかしくなって止めてしまった。
変わりに出た言葉は、
「そういう、祐巳様はどうなんですか?」
という、分かりきった問い掛けだった。
「うん、楽しいよ」
やっぱり、と乃梨子は苦笑する。
「最近は特に、ね」
と予想していなかった言葉が続く。
祐巳を見ると、意味ありげに笑っている。
「学校に来れば、乃梨子ちゃんに会えるからね」
そう言って、指先でちょんっと乃梨子の唇に触れる。
「なっ」
途端に、乃梨子は体温が上昇していくのを感じた。
恐らく、今の自分の顔は真っ赤であろう。
「か、からかわないで下さい」
本当なら嬉しいのに、ついプイッとそっぽを向いてしまった。
「本当なんだけどなぁ」
横から拗ねたような祐巳の声が聞こえてくる。
横目でチラッと盗み見ると、唇を尖らせて、ツインテールの先っぽをイジイジとしている。
正直可愛い。
(って、そうじゃなくて)
拗ねてる祐巳様も可愛いなぁ、なんて思っている自分に、心の中でつっ込みを入れる。
「わ、私も、祐巳様に会えるのは…う、嬉しいです」
恐らく、今はもう耳まで真っ赤になっているのではないか。
正直、恥かしかったが、祐巳にああ言ってもらえて嬉しかった。
その所為で、自分も言わないと、という妙な義務感が働いた。
すると、ふいに頭が引き寄せられた。
気付くと、頭をすっぽりと祐巳に抱かれていた。
それは、母親が子どもにするそれに似ていた。
「ゆ、祐巳様?」
乃梨子はさらに体温が上がっていくのを感じた。
これ以上は流石に拙いのではないかと思えてきた。
しかし、そんなイッパイイッパイの状態に気付かず、祐巳は乃梨子の髪をゆっくりと撫でる。
「乃梨子ちゃんの髪はサラサラで気持ちいいね」
「そ、そうですか……?」
乃梨子の心臓はもうバクバクで、答えるのもやっとだ。
暫くの間、乃梨子は祐巳にされるがまま、髪を撫でられていた。
それはとても心地良く、本当に母親に抱かれているような気分にさえなった。
「ずっと、このままでいたいなぁ……」
無意識に、乃梨子の口からそんな言葉が漏れる。
それでも乃梨子は気付くことなく、祐巳に体を預けていた。
対する祐巳は、一瞬目を見開き、それからまた直に微笑んだ。
しょうがないなぁ、といった風に。
「ねぇ、乃梨子ちゃん」
「はい……?」
とろん、とした目で、祐巳を見上げる。
「大好き、だよ」
耳元でそっと囁いた。
そして、ふわっと、一瞬だけ乃梨子の髪に唇を当てた。
「えっ?」
何が起こったのか分からない、といった感じで、乃梨子は髪を押さえる。
そして、顔が見るみる朱色に染まっていく。
「えっ…あ、あの…今……」
「何て言いました?」「何をしたんですか?」
『今』に続くふたつの疑問。
完全に混乱してしまっている乃梨子は、どちらの言葉も出てこなかった。
「返事は?」
そう祐巳が乃梨子の顔を覗き込む。
「はい……」
本当に返事だけを返された祐巳は、アハハっと苦笑した。
「もう一言、何か無いの?」
ほんの僅かに頬が膨らんだ祐巳に睨まれ、それで漸く我に返る。
「私も、好きです。初めて会ったあの日から、祐巳様が大好きですっ」
今まで言えなかった気持ちを、一気に捲くし立てた。
「んっ」
言い終わった瞬間、口が何かで塞がれた。
柔らかく、温かいものに。
祐巳の顔が、すぐそこにあった。
祐巳の顔が離れ、やっとその温かなものが、祐巳の唇だったと知った。
「ありがとう」
祐巳はそう微笑んだ。
「そろそろ、帰ろうか」
そう言って祐巳は帰り仕度を始めた。
正直、乃梨子はあまり展開を理解出来ていなかった。
薔薇の館を出ると、乃梨子の手を何か温かなものが包んだ。
祐巳の手だった。
目の前の少女は、先程と同じように、優しく微笑んでいた。
夢ではないだろうか?
祐巳が好きだと言ってくれた。
キスをしてくれた。
今、手を繋いで歩いている。
夢ではないだろうか?
乃梨子はそう思った。
しかし、それでも構わないと思った。
元々、自分が釣り合う筈もないのだ。
だから、もう少し、この夢を見ていたい。
乃梨子は、左手の小さな温もりを、そっと握り返した。