「ごきげんよう、乃梨子ちゃん」

薔薇の館へ行く途中で、後ろから声を掛けられた。

「ごきげんよう、祐巳様」

ゆっくりと振り返り、最愛の人に答える。
祐巳は乃梨子の隣に並ぶと、その手をそっと握った。
乃梨子は幸せをかみ締めた。
初めて会った時から、ずっと好きだった。
自分が同じ女性を好きになるとは思ってもみなかった。
叶わぬ恋だと思っていた。
けれど、結局諦めきれず、先日自分の思いを打ち明けた。


「好きです」

そう言った乃梨子を、祐巳は優しく抱きしめた。

乃梨子は隣にいる祐巳に目を向けた。
トレードマークとも言えるツインテールが、ふわふわと揺れている。
乃梨子の視線に気付いたのか、祐巳と目が合った。
すると、祐巳はにっこりと微笑んだ。
ただそれだけで、乃梨子の胸は高鳴った。
この飾らない笑顔が、乃梨子は大好きだった。
高校受験で躓き、荒んでいた乃梨子にとって、祐巳の笑顔は、何だかとても安心できた。
祐巳の笑顔に救われたと言っても過言ではない。
この笑顔を守る為なら、乃梨子は何だってするつもりでいた。
乃梨子がこんなことを考えていると知ったら、祐巳はきっと困るか、悲しむかのどちらかだろう。
だから、これは祐巳には言えないし、言わない。

「あっ、乃梨子ちゃん。今日ね……」

祐巳が何か口を開いた。
きっと、今日あったとりとめのない話。
そういった会話が出来ることだって、乃梨子にとっては掛け替えの無い幸せのひとつ。
しかし……

「やあやあ祐巳ちゃん、今日もプリティーだね。それに、この抱き心地。
あぁ、君をこの腕に抱くだけで、この世界が楽園に変わるよ」

突然の乱入者によって、乃梨子の幸せな時間は破られた。
乃梨子と手を繋いでいた祐巳を奪うかのように、半ば強引にその人物は祐巳を抱き寄せた。

「あぁ、久しぶりの祐巳ちゃんの抱き心地。私の人生、この瞬間の為にあるような物だね」
「って、白薔薇さま?」
「そう、祐巳ちゃんの大好きな、元・白薔薇さまこと、佐藤聖だよ〜ん」

目を見開いて狼狽している祐巳とは対象的に、聖と名乗った女性は、祐巳を抱いたままニコニコと楽しそうだ。

(元・白薔薇さまって…じゃあ、この人が志摩子さんのお姉さま?)

いや、それよりももっと重大なことを、目の前の人物は言った。
そう、「祐巳ちゃんの大好きな」と。
それがつまり、祐巳がこのセクハラ全開の女性を好きということになる。

(ううん、そんなことない)

乃梨子はぷるぷると首を振った。

(祐巳様は、私と付き合ってるんだ。祐巳様だって、私のことを……)

そこで乃梨子はふと気付いた。
自分が祐巳に告白した時のことを……。

 

「私、祐巳様のこと、好きです。先輩とか、後輩とかじゃなくて、一人の女性として、祐巳様のことが、好きです
同じ女性同士で気持ち悪いって思われるかもしれないけど、でも、本気ですから」

言わないでおこうと思った気持ち。
抑えきれなかった想い。
それを聞いた祐巳は、ただ優しく微笑み、抱きしめて……。

 

(私、祐巳様に「好き」って言ってもらったことが、ない……?)

今更ながらに気付いた自分が、酷く滑稽に思えた。

(違う。私と祐巳様は付き合ってるんだ。だって、さっきも手を繋いだし……)

祐巳を信じたい気持ちと、不安とが交差する。

「もう、いい加減に離して下さい」

口を尖らせ、それでも本当に嫌がっているわけでもなく、祐巳が聖の腕から逃れた。

「ちぇっ、折角祐巳ちゃんを感じていたのに」

対する聖は、本当に残念そうに唇を尖らす。

「何ですか、感じるって、嫌らしい。セクハラで訴えますよ」
「まぁまぁ、そんなに怒んないでよ。私と君との仲じゃない」

(どんな仲ですか?)

祐巳より先に、乃梨子が心の中で突っ込んだ。

「ところで、祐巳ちゃん?」
「はい?」
「そっちの子は誰。何だか恐い顔してるけど?」
「え?」

そこでようやく、乃梨子のことを思い出したかのように、祐巳は振り返った。
不機嫌全開だった乃梨子は慌てて視線を逸らした。
それでも祐巳は、乃梨子がヤキモチを妬いていることに気付いた。
仕方ないなぁ、という風に微笑み、乃梨子をそっと抱き寄せた。

「えっ?」

乃梨子は頭を抱えるように抱き寄せられていた。
祐巳の両腕と体に包まれ、シャンプーのいい匂いが鼻先をくすぐる。
それだけで乃梨子の心拍数は一気に跳ね上がった。

「二条乃梨子ちゃん。志摩子さんの妹で、私の恋人です」

(コイ、ビト……)

祐巳は確かにそう言った。
それを聞いただけで、乃梨子は涙が出そうになった。
良かった。
自分の一人相撲ではなかった。
ちゃんと、祐巳も自分のことを想ってくれていた。
一方の聖は、一瞬驚いたように目を見開いたが、直ぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。

「そっか〜。祐巳ちゃんに恋人か〜。私ともキスした仲なのに、もう他の子に行っちゃうのか〜。
確かに、誰だって若い子の方がいいに決まってるよね」

(えっ?)

一瞬、乃梨子は耳を疑った。
誰と誰がキスしたって?

「もう、そんな理由じゃないですよ。変なこと言わないで下さい」

対する祐巳も、キスのことは否定しなかった。

「その人と、キス、したんですか……?」

聞くのが恐かった。
しかし、聞かずにはいられなかった。
ただ否定して欲しかった。
笑って、「違うよ」って言って欲しかった。
ただ、それだけで良かった。
しかし……、

「え、えっと……」

祐巳は言葉を濁した。
そして……、

「祐巳ちゃんからしてくれたんだよね」

聖の一言が、乃梨子に追い討ちをかけた。

「ちょ、もう。聖様は黙ってて下さいっ
あのね、乃梨子ちゃん。キスっていっても……」
「もういいですっ」

乃梨子は叫び声を上げ、祐巳を突き飛ばした。

「きゃあっ」

乃梨子に突き飛ばされて、数歩よろけた祐巳を、聖がポンっと支えた。
その光景が、乃梨子の心を更に苛立たせた。

「そういう人がいるなら、どうして初めに言ってくれないんですか?
変な期待を持たせないで下さい」

最後はもう、悲鳴に近かった。
その場にいることが耐えられず、乃梨子は駆け出した。

「ま、待って、乃梨子ちゃん」

祐巳の制止の声も無視し、ただ走った。
後には、祐巳と聖が残された。
そんな祐巳は、キッと聖を見据えた。

「聖様。どうしてあんなこと言ったんですか?」
「ご、ごめん。まさかあんなに傷付くなんて……」

普段怒らない祐巳の剣幕に、聖が押される。

「乃梨子ちゃんは、凄くヤキモチ妬きなんです。そりゃ、ちゃんと否定出来なかった私も悪いですけど……。
でも、乃梨子ちゃんを傷付ける人は、誰であろうと許しませんから」

それだけ言うと、祐巳は踵を返して、乃梨子の後を追った。
そして、聖一人が残された。

「あ〜ぁ、まさか、祐巳ちゃんがあんなに怒るなんてなぁ……」

聖は自嘲めいた笑みを浮かべて、頭を掻いた。
普段怒ることがないだけに、少し恐かった。

「でも、これくらい、いいじゃない」

誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。

「私だって、ずっと君のことを想ってきたのに……。
それなのに、後から出てきて、あっという間に君をさらっていくなんて、ズルイよ……。
だから、これくらいの意地悪、許してよね……」

聖の呟きは、誰に聞かれることもなく、風がさらっていった。
木々が風でザワッと揺れた。

 

 

無我夢中で走った。
気が付けば、そこは温室だった。
ロサ・キネンシスが咲く場所。
だから、祐巳に告白する時、験を担ぐつもりでここを選んだ。
ここは、初めて祐巳の温もりに触れた場所。
だから、無意識にでもここに来てしまったのだろうか?
ロサ・キネンシス。
今はまだ、花は無い。
乃梨子はその蕾をそっと指でなぞった。
ロサ・キネンシスの蕾を……。

望んで入学したわけではないこの学園で、祐巳に出逢った。
思いの丈を打ち明け、一見、受け入れられたと思った。
けれど、それは結局、一人相撲でしかなかった。
止め処なく涙が溢れた。
それは、頬を伝って、蕾の先に落ちた。

「乃梨子ちゃんっ」
「っ!」

突然の来訪者に、体がビクッと震えた。
振り返ると、案の定、そこには祐巳が立っていた。
よほど走ったのか、肩で息をし、額には薄っすら汗が滲んでいた。
そうまでして、自分のことを追い駆けてくれたことが、嬉しかった。
淡い期待を抱きそうになった。
だが、すぐさまそれを振り払った。
期待して傷付くのは、もう嫌だった。

「乃梨子ちゃん、聞いて。私、聖様とは何でもないよ。
キスしたっていっても、ほっぺただったし、それにあれは……」
「いや、聞きたくないっ!」

髪を振り乱し、乃梨子は耳を塞いだ。

「祐巳様の口から、あの人のことなんて聞きたくない。ううん、あの人だけじゃない。
他の人のことを話されるのも嫌。他の人と話すのを見るのも嫌。
他の人に祐巳様を見られるのも嫌。他の人が祐巳様に触れるのはもっと嫌。
まして、祐巳様が他の人にキスをするなんて、もっともっと嫌。考えるのも嫌」

まるで発狂したかのように、涙を流し、ガムシャラに叫んだ。
一気に捲くし立て、息が少し苦しかったが、それでも乃梨子は叫んだ。

「だから、例えほっぺただろうが、私には耐えられないんです。
それに、私にはしてくれたこと、無いじゃないですか。
それなのにあの人には……、んんっ」

突然、乃梨子の唇を何かが塞いだ。
それが祐巳の唇だということには、直ぐに気付いた。

「ん、んんっ……」

乃梨子は抵抗しようと身を捩ったが、頭に回された祐巳の腕が、それを許さなかった。

「ぷはっ」

長いキスが終わり、ようやく解放された乃梨子は酸素を求めて息を吸った。

「私、聖様には絶対こんなことしない。乃梨子ちゃんだけだよ」

そして、乃梨子は再び唇を塞がれた。

「ん……」

つぎは抵抗することなく、体を祐巳に預けた。

「乃梨子ちゃんが好き。ずっと抑えてきた。
じゃないと、乃梨子ちゃんのこと、どうにかしちゃいそうだから。
だけど、もう抑えないから。乃梨子ちゃんのせいだからね」

そう言われて、乃梨子は三度唇を塞がれた。

…………

………

……

「あ〜、やっぱり、結構制服、汚れちゃったね」

祐巳は乃梨子を立ち上がらせると、制服に付いた土をパンパンと叩いた。

「祐巳様、酷いです。私、初めてだったんですよ」
「うん、私も」

ぷうっと頬を膨らませている乃梨子に対して、祐巳はサラッと答えた。
そんな祐巳を、乃梨子は恨めし気に睨んだ。

「ごめん。だって、乃梨子ちゃんが可愛いことを連呼するんだもん」
「な、何ですか、可愛いって」
「ほら、祐巳様を見られるのも嫌、とか。触れられるのも……」
「わぁっ」

乃梨子は慌てて祐巳の口を塞いだ。

「止めて下さい。恥ずかしいじゃないですか」

それでも祐巳は、乃梨子の手から逃れ、更に追い討ちをかける。

「どうして。まだあるのに?
私にはキスしてくれない、とか」
「ゆ、祐巳様っ」

元から赤かった顔が、更に赤に染まる。
それを見て、祐巳はクスクスと笑う。
祐巳は笑っていたが、それでも不安なことがあった。

「ねぇ、祐巳様。私のこと、軽蔑しないんですか?」
「え、何に?」

祐巳は不思議そうに小首を傾げた。

「だって、私はあんなに醜い感情を持っているんですよ。
気持ち悪くないんですか?」

乃梨子が言っているのは、先程の、祐巳に誰も触れてほしくない等と叫んだことだ。
しかし、祐巳は「何だ、そんなこと」と微笑んだ。

「軽蔑なんて、するわけないよ」
「どうしてですか。私は……」

その先を、祐巳の人差し指が塞いだ。

「するわけないでしょ。だって、私も同じことを思っているんだから」
「えっ?」

何を言っているのか分からない、とでも言うかのように、乃梨子は祐巳を覗き込んだ。
祐巳はにっこりと微笑んで言った。

「乃梨子ちゃんを、誰にも触れられたくない。乃梨子ちゃんは、私だけのものなんだから。
この柔らかな唇も、サラサラの髪も、温かな体も、触れていいのは私だけ。他の人には、触らせてあげない」

祐巳の指に、唇、髪とを撫でられ、最後に体を抱き締められた。

「軽蔑、した?」

耳元でそう囁かれ、乃梨子はブンブンと首を振った。

「そんなことない。嬉しいです、とても……」

そう言って、乃梨子も祐巳の背中に腕を回した。

「うん、私も嬉しかった。あぁ、乃梨子ちゃんは、こんなにも私のことを好きでいてくれるんだなぁ、って思えて。
乃梨子ちゃんが泣いているのに、嬉しかったんだ。ごめんね」

そう謝る祐巳に、乃梨子はもう一度首を振った。

「いいんです。私も今、嬉しいから…、いいんです」

そう乃梨子は、祐巳を抱く腕に力を込めた。
その温もりを離さないよう。

「祐巳様。だったら、祐巳様に触れていいのも、私だけですよね?」

やはり聖のことが気になるのか、おずおずと祐巳を覗き込む。

「当たり前だよ。聖様にだって、抱き付かせてあげないんだから」

にっこりと微笑み、乃梨子を抱く腕に力が込められた。
乃梨子は祐巳に身をゆだね、顔をうずめた。

幸せとは、きっとこんな瞬間のことを指すのだろう。
自分は、こんなにも祐巳に愛されていた。
祐巳の気持ちを、一度でも疑ってしまったことに、ただただ申し訳なかった。
だから、これからは何があっても、祐巳のことを信じよう。
そう、心に決めた。

「祐巳様」
「ん、なぁに?」
「大好きですっ」

もう、揺らがない。この、温もりがある限り。

 

 

 

―――――――――――

<あとがき>

最近、ゲームばかりでいい感じに駄目人間。
御神楽華音です。

一月中、間に合いませんでした。マリみてSS。
前回から一ヶ月以上経ってしまいました。
え〜、いかがでしたでしょうか?
楽しんで頂けましたでしょうか?
何だか段々と話が長くなっていってる気が……。
何でこうなったんだろう?
なんだか際どいシーンに突入したけど、都合によりはしょりました。
書けないんで……。
打つのも疲れました。タイピング苦手なんですよ。実は……。
短くて、甘々な話を書きたいんですけどね、本当は。
はい、精進します……。

さて、ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
楽しんで頂けたのなら、私にとって幸いであります。

では、またの機会があることを祈りつつ。

20060201  御神楽 華音

 

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