
天龍寺 寿寧院
《我が身の未だ見ぬ不幸へ線香投資 思いは晴れて 雲ひとつなし》 |

寿寧院前 寿寧院門前
龍馬の妻おりょう その後の人生 |
坂本龍馬は 慶応3年(1867)11月15日午後8時過ぎ 京都河原町通四条上る西側・近江屋の二階で時代の幕開けを見ることなく暗殺されました 龍馬の愛した妻のおりょうは土佐の生家に身を寄せた後 京都に戻り墓守をしていましたが、やがて東京に住いを移します 龍馬の死から8年後の明治8年 横須賀で造船所を営む西村松兵衛と再婚し西村ツルと改名 龍馬の2倍の人生を生きぬき この地で66歳の生涯を閉じるまで 龍馬のことを一時も忘れる事はありませんでした |
西村松兵衛 |
松兵衛もまた そんなおりょうの気持ちを良くわかっていたのです おりょうの墓標に 「坂本龍馬の妻龍子」と そして一番の良き理解者の西村松兵衛 おりょうの遺言に従い 京都東山霊山墓地にある龍馬の墓と 楢崎将作の墓に分骨したのです |
楢崎将作・おりょうの永代供養墓 |
楢崎家の墓は京都八瀬西林寺に無縁墓となっていましたが この度松兵衛から数えて四代目西村兵造氏(京都在住) の依頼により 京都嵐山の天龍寺・寿寧院に移し二人の顕彰碑と永代供養墓「倶會一處・ぐえいっしょ」 を建立して祀ることになりました |
女性対象の永代供養墓 |
龍馬の妻おりょうの父で勤皇医の楢崎将作 二人の遺徳を偲び後世に伝承するために組織された《楢崎将作・坂本龍子顕彰会》は御利用の皆様方に納骨型共同永代供養墓を管理・運営していきます ご利用の対象の方は女性またはご夫婦です |
倶會一處(ぐえいっしょ) |
阿弥陀経の経典の言葉で 極楽浄土に往生し優れたよい人達とひとところで出会うことです |
参考命日 |
楢崎将作(文久) 2年6月20日 (50歳) 坂本龍馬(慶応) 3年11月15日 (33歳) |

右斜前方 正面 広場より
"自分自身の問題 |
《あと1日だけでも 生きたかった》と思うことでしょう。他人ごとではない自分のこととして考えたいものです。知らずに人生の真ん中辺りか後半を歩んでいるのです。第二の人生を迎えられる頃に大きな不安を持たれるでしょう。 生前に心の安らぐ"終の棲家"を手に入れ跡継ぎを気にせず 一生の供養も叶う墓として安らげます。 |
無縁墓になる可能性 |
無縁墓の心配。今後どんな立派な墓とて将来のことは解りません "継げる保証"はどこにもありません。 |
嫁は別の墓へ |
同じ墓に入りたくない 知らない土地で両親と暮らしたこともないのにイヤだ 別々がいい。 |
失敗した人達 |
お墓を作った人の後悔 "こんな墓を 買うんじゃなかった" ゆっくり落ち着いて考えて 失敗に気がついた。 散骨は環境や衛生面で多数の人に不快感を与え 禁止条例もありお勧めできません。 |
ポイント4つ |
@自由で便利に墓参りが出来るように 交通の便が良く 条件や規制がない所が良い。A環境配慮の自然に明るい永代供養付で 管理がしっかりしていること<。B使用許可証の発行 C一般的費用は(一瞬の葬儀よりお墓は永遠ですょ)。1位は50〜100万円が30%、 2位は100〜150万円が26%、 3位は150〜200万円が20%です。 *あなたの事情を基に ゆっくり比較・見学し 立地、環境、費用を検討して決定して下さい。 |
寿寧院の |
幕末のヒーローの妻と父の顕彰碑と共存するタイプの永代供養墓は新しい墓の形として今"注目"されています 四季の嵐山を眺め 緑に囲まれた南向き。一日中明るい陽射し 賑やかさと静寂さを共に感じ。永遠に途絶える事なく 御縁のある方達がお参りされます。嵐山駅の真向かいの天龍寺内に駐車場も完備。嵐山嵯峨野散策へ訪れる回数も増え 季節の変わり毎 お参りしたい気持ちに。年中行事、紅葉、花、ひばり館に誘われ寺院への見学も楽しい思い出にして下さい。 |

倶會一處 顕彰碑 おりょう説明文 顕彰碑

二胡の奉納演奏 お名前が入る霊標 焼香と献花
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メンバーと塀に案内版 寺門の中縦案内版 関係文書収納箱 八坂 寿史作(仏師)
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