では日本の顔をお見せしよう

日本語の原郷・アルタイとは地域名だ。
その地名が日本各地に隠されているという真実。

では、まずトリミングした前回の図を見てみよう。
最近はNHKまでが特集番組で「日本人はどこから来たか」とやっている。その中で「日本人のDNAを鑑定した結果」、意外にも中央アジアが原郷だった、とビックリした報道を演出しているが、そんなことは世界ではとうに知れていたのだ(^^)。そんななかで気になるのは、いまだにその地に名札でもつけた『日本人』がいたかのようにコメントしていることである。あくまでも「日本語」の元になるアルタイ語を話すいろいろな人がいて、ツングース、北方中国、蒙古、朝鮮半島にかけて、何千年という長い南下の間に、日本語と朝鮮語が分岐していったというのが現代言語学の見方だ。前世紀の尻尾のようなナショナリズムを持ち込み、単一民族説を踏襲するNHKの今後に要注意だ。



アルタイこそが「倭奴」のこと。

アルタイ→から「た・ら・な通音法則」でアルライ→アッルイ→wealoo→倭奴(weadoo)と変化したものだ。
wealooは「悪路(ワルロ)王」と呼ばれたアルタイ最期の王・アテルイの名前そのものだ。そのアルタイ地名が神奈川や東京、そして関東一円にもあるのだ?!




下の地図内の赤で囲んだ地名を読んでみてほしい

が、その前に知っておくことがある。それは…

1 高祖(劉邦)が前漢を建国したのは紀元前の202年
2 その約20年後、
漢の武帝によって衛氏朝鮮が亡び、楽浪・帯方郡を設置する。
3 このときの動乱で兵も人々も半島を南下、分国状態にあった日本の各地に渡ってきた
4 「倭奴」のクニもその一つ。もう一度左の金印を思い出してほしい
 そこには「漢委奴国王」とあった
 つまりこの時代、
「倭奴」は漢の支配下にあった、というのだ。これは重要だ
5 記紀が語らない「倭の五王」が朝貢するのは、帯方郡にある漢だった
6 が、310年ごろ高句麗によってその帯方郡・楽浪郡が滅び、支配下に置く
7 すなわち、このころ帯方郡から倭奴(日本)に漢や高句麗の官吏らが大勢やってきた

8 そして漢字を自在に駆使できた彼らによって版図の記録として初めて
「地名」が漢字化されていったのだ。だから当然、
高句麗語や漢語の地名もあるのである

小田急線・厚木市の依知地区にある依知神社。「えち神社」と呼ばれているが、由来にもあるように「愛知(えち)」とも関わりがありそうだ。その尾張・愛知は、都のある畿内からは異郷「東国」にあたる。その厳しい関所の1つが有名な愛発(あらち)の関である。がこの「愛発」をアラチと呼んでいたように、愛知も「アルティ」に近い発音で呼ばれていたとみてよい。そういえば、厚木付近には「愛」の字がつく地名が「愛川」「愛名」「愛甲」と多い。その「愛」が「愛発」同様古代「アr」と読まれていたとすれば、『愛宕』がアラゴからアタゴと変化したものとわかる。同じように依知は「アルティ」の変化したもので、厚木の「アツギ」も、アルティのR音が消滅した「アrチ」に「来」がくっついたもので、まさに「アルティ来」→アツギとなったものだ。

もひとつ見落とせないのが「日吉神社」だ。これはクリックしてもらえればわかるが、「いるぎ」のこと。つまり「アルティ」と「イル」との間には密接な関係があると見てよい。その「日枝」が他の地域よりもはるかに多くが勧請されているのもその根拠だ。
神奈川と東京の境界が多摩川。その川をまたいだ東横線「二子玉川」は「ニコタマ」と呼ばれてファッションスポットでもある。この二子という地名も「アルティ」なのだ。それを理解するには前述の「漢字」の予備知識が必要だ。左の図解を見てもらおう。イー・アルのアル、そう。
「二子」を中国風に読むと「アルツィ」となる。これも左の縁起(桓武天皇直系がからんでいる)話や句玉発掘の塚が物語るように古代、帯方郡から来た漢・唐系史人によってこの地が「アルティ」と呼ばれていたことを聞き取り、漢字化したものが「二子」となった証拠だ。ところが後世「二子」の意味は忘れ去られ、文字からくるイメージが説話化されて「ふたご」となったものだ。というように、ほかにも高句麗語で漢字化したものもある。
ついでに、日本で漢字は象形文字だと思ったら大間違いで、むしろ古代、漢字を最初に表音文字として使ったのは漢と隣接していた高句麗だ。「万葉仮名」にあたる吏読(いとう)という方法で耳にした地名を漢字化したのである。その名残の1つが「渋谷」だ。「シブヤ」の地名解説をいろいろ目にしたがまるで漫画ものだ。「さび谷」からとった、とか「四方から谷が落ち込んだ盆地」だから「しぼや」だとか、渋谷氏の領地だったから、というもので賑やかだがこの渋谷こそ「新羅」の変化形なのだ。シはシ、ブは「武」を「む」と読むようにムでもある。そして「ヤ」はヤ・ラ・ナ通音でわかるように「ラ」に変わる。こうしてみると「シブヤ」は「しむら」であり、「志村」とおなじ、新羅のことなのだ。ほかに「清水」は「清」を「しん」、「水」が「むる」という古代朝鮮語を当てるとこれもまた「しんむる」→「新羅」となるのである。


だから当然
漢、高句麗、帯方郡から来た人が
武蔵国にもいる

神奈川県小田急線・鶴川駅前に「香
具山美術館」がある。受付の当主に
聞いた話が奇想天外。庭園もグー
ここの当主は「先祖は古代中国。新
羅国建国のときの褒賞でこの土地を
下賜された」と言う。上記の史実を証明
しばらくぶりで行ったら「美術館」は
閉鎖されていた。またひとつ隠れた
史跡が消えるのか

……そういえば、「高祖」っていう名前の参議院議員がつい最近までいたっけ

大陸・半島・列島を巻き込んだ戦乱でそれぞれの王に尽くした兵士たちは、支配下においたクニの土地を戦功の恩賞として賜下されて、日本各地に豪族として定着していったのである。全国30万余の古墳はその足跡だ。天皇制の確立によって彼らの出自は、ひた隠しにされて今日に及んでいる。だからいまなお日本は「いったいこの国はなんでまとまらないんやろー」ということになる (^^)

話を「アルティ」に戻そう。この「アルティ」こそが「原日本」の呼び名だったことを物語る証拠がある。
それは「サ」が高句麗語では「朝・東」を表す言葉であり、「新天地」という意味だったことを思い出してほしい。「サ乙女」や「サ苗」そして「さあ」や「さて」というように「サ」は新しい再生を意味する日本語でもある。この
「サ」が「アルティ」の頭につくと…。そうだ。「サ・あるてぃ」となり、「猿田」となるのである。誰もが知っている「神武天皇の東征」の案内役を努めたという神話の中の「猿田彦」とはまさに「帯方・楽浪郡」にいた高句麗・東川王が倭奴国にいた在来の「倭奴(アルティ人)」の導きで東征を果たした、という歴史事実に基づいているのだ。

アリランの誕生・歌に刻まれた朝鮮民族の魂」(宮塚利雄・創知社刊)という本の中で、著者もまた「アリラン」の「アリ」とは何かを追求している。その中で氏は
「アリランアリランアラリヨ」の中で、「アラリヨ」が比喩の鍵だといえる。「アラリヨ」を分綴すれば「アルアリヨ」となる。「
アル」は卵の意味を持たせた「アル」だと思える。「アル」は新羅王朝始祖の朴赫居世、高句麗王朝始祖の高朱蒙、駕洛王朝始祖の金首露王が生まれた卵と関連すると思われる。 「アリラン」の「アル」も卵の意味であろうし、また朴赫居世の王妃アルヨンにより近い。すなわち、王妃の出生地がアリヨン(アルヨン)だからである。
としている。つまり「アル」とは「卵」であり、それは民族性の源でもあるというのである。もちろん歴史の連続性から、その「アル」が倭奴「ウェル・ウェド」へと変わっていったのだろう。ますます「ウソ発」は核心に迫ってきたぞ (^_^)v


さて「サ」がつく神社に『サ馬神社』がある

「馬」とは黄海をはさんで遼東半島にまで展開していた「百済」の前身の呼称であり、当然漢族も含まれていた。
その「馬韓(百済)」は同じ夫余族・高句麗との戦いに敗れてどんどん南下を余儀なくされていくのだ。
しかもこの相模・神奈川の地には亡命百済王氏が続々とやってきたはずである。
その中から「ヤマト」が生まれてきたのである。

その「ヤマト」については次回に譲る。ここで日本の隠れた顔が覗くぞ〜(^^)

相模には10社以上の「さば神社」があったというが、その伝承はほとんど消滅した。が、真実はこうだ。

相模という地名もまた「サ」がついている。単純にとけば「さ」+「神」または「熊」とも解ける。とにかくこの相模国は、670年代ころ高句麗から渡来した高麗王若光が大磯に上陸するとき、「汝等それにてよく聞けよ、われは日本の者にあらず、諸越の高麗国の守護なる…」(「大磯町文化史」)とのたまったように帰化人・渡来人が集結していた土地である。
歴史学者の中島利一郎氏は「武蔵」の考証のなかで、
「武蔵国内だけでも朝鮮帰化族は二分裂し、武蔵、胸刺と各割拠するの形勢を取ったが、其の意は共に同じく「宗城」「主城」である。而して武蔵に於ける朝鮮帰化族は自ら武蔵を以て帰化族の本家とする考で、此の如く宗城、主城の意を以てムサシといったのであるが、武蔵以外朝鮮帰化族は、相模にもゐた。この相模に於ける帰化族は、相模高麗寺山を中心とし、武蔵のそれに対抗して、相模を以て帰化族の本家とし、こゝを帰化族の中心地と考へ、武蔵のサシに対し、相模を「さねさし」即ち真城(さねさし)といった」と言っている。
つまり武蔵、相模の国の中でも、朝鮮半島の力関係が密接に反映され、血なまぐさい葛藤があったのである。そしてそうした混乱状況を断とうとして結集したのが、百済王氏の「ヤマト」だったのだ。

後は次回に譲る 乞うご期待

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