日本単一民族説のウソ
日本人のアイデンティティーは
       地名・姓名に隠されている

割ったせんべいは割れた方もセンベイ

せんべいは 日本は単一民族である』から世界のほかの国と違ってまとまりがある、という言説はコトあるごとに飽きるほど、政治家や評論家のクチから聞かされてきたが最近はちょい様子が違ってきた。というのも続々発掘される遺跡からの人骨や遺物を分析すると当然ながら、多様なというより北東アジア民族に共通する生活反応が出てきたからである。
 左の絵で見るように「割れたせんべいは、そのかけらもセンベイ以外の何モノでもない」のである。つまりユーラシア大陸の東端から分離した日本列島に大陸共通の原文化があることは、子供でもわかる真実だ。ところがそれを認めると、『ナニ? 
北朝鮮の隣じゃん そんなのやだ〜』 (^^)ということだったから逡巡してきたのだ (^^) がしかしもはやそんなことは言っていられなくなってきた。そう、世界中がこの両国が一衣帯水の関係にあり同じ基層にあることを知っているからである。それは「日本」という国号からも証明できるのだ。

「日ノ本説」や「日下説」はごまかしの偽装だ

「日本」の国号についてはたびたび取り上げてきたが、とうとう結論を出すときがきた。韓国のwebサイトには日本語訳のページが多い。そんな中で韓国のマスコミが日本の国名について単に「」と表記していることに、おやっと思った人もいるはず。天皇陛下のことを「日王」といい、日本料理も単なる「日式」と書く。つまり韓国では21世紀の現代でも日本のことを「イル(日=wealoo=倭奴)」と7世紀のころのまま呼んでいるのである。
 これは古中国でみられる地名や国名の略称化である。日本でも町や村が合併すると両者の頭文字を寄せ合って新しい町の名前にする、というのは前にも見てきた。

「日」の次にくるニッポンの「本」は
どういうことなのか

 では「」の次にくるニッポンの「ポン(本」はどういうことなのか、というとこれこそ下図に見る「勿=hun=本」なのである。つまり7世紀に入って唐突に文献に登場してくる「日本」という国号の謎は、倭奴(日)国に渡来してきた「勿(hun=han=韓=百済ヤマト)」の朝廷入りを示すものである。この明快な「日本国号説」の前では「日ノ本(下)説も日下地名から来たという説も出る幕がないはずだ (^^)

「HUN」・フン族の「勿」が日本国内にどう地名、姓名化したかは後に出てくる

地名に織り込まれたルーツ

「億のウソ道」を歩んでこられた人ならもうお分かりのはず (^^) そう、キミの名前と同じように「日本」という国号には深遠な「民族のアイデンティティー」が秘められているのである。ところがこの「日本」という国号の由来については古来から諸説紛々、誰も明快に説明することが出来なかったのだ。さかのぼると「ウソ発」も「日本」の「本」は「元はイル(日)だから日本という」ことだとうっかり従来説に乗せられそうだったが、今度こそ「ウソ発」は、「日本国国号」の謎を見事に解明したのだ。それは…



では「日本」という名前がどう織り込まれているか?

 日本の「日」についてはtopページの「倭奴(イル=日)」を見てもらうとして、「本」はやはり「勿(フン・モチ)」からの転用だ。しかも読み方は別項を見ればわかるが「Hun」からの音韻変化で「Hune=フネ ブネ」と読むのが正解だ。これも前に言ってきたように最初は「イプン イルブネ」と呼んだのが始まりだった。その一例が全国に珍名扱いになって残っている鹿骨入船白骨湯船などの地名である。
 上のイラストを見てもらえば騎馬民族、匈奴・フン族「HUN」が2000年前から5世紀ころまで中央アジアでビッグバンし、やがて終息していく中で離合集散する氏族部族が押し出されるように日本に渡ってきたことが一目瞭然だ。だからこそ
フン族の「HUN」は、漢王朝の「ハン(漢)」、韓国の「ハン(韓)」、そして日本の「ホン(本)に織り込まれてきたのだ。江上波夫氏の「騎馬民族王朝征服説」の源流がここで一段とはっきり具体像を持つのである。

日本各地にこんなにある「勿」の変身地名

旗 幡 秦 (はた ばん しん)
物 諸 師 (もつ もの もろ)
持 宗 用 (もち むね よう)
中 永 長 (なか なが ちょう)
分 文 胸 船
(ふん ぶん むね ふね)
漢 韓 本 (かん はん ほん)

上の「勿字」用法はほんの一例だ。もちろん姓名にも適用されている。

上図右の漢字にふられたルビは一例に過ぎない。漢字辞書をお持ちなら他にどんな読み方があるか調べてほしい。最初に出てくる「旗」「幡」は「勿」の字形が「ヒラヒラはためく旗の形象」からきたものであることを示すものだ。これが「勿」の曲者なのだが後で示す。とにかくこれらの漢字用法は匈奴・フン族が日本にきたときに持ち込んだものだ。つまり日本の支配権力者(百済ヤマト)はこうした漢字用法を中国の書法(説文解字)から取り入れ縦横に駆使して人民支配を思いのままにコントロールしてきたのだ。歴史教科書では6世紀に百済の王仁博士が大和朝廷に漢字を献上したとされているがとんでもないウソである。最初に出てきた「漢倭奴国王之印」は西暦1世紀の史実である。つまりヤマトの支配集団はこのころすでに漢字を情報操作の道具として活用していたのである。民衆や原住民にはチンプンカンプンの漢字で、もとの呼び名(地名)に説文解字の用法で下の示した民族名を塗りつぶしてきたのだ。その犯罪的な行為(現代も隠蔽・偽装・歪曲の伝統は生きているね)ともいえる国家機密の一部始終を知っていたのが柿本人麻呂だと言われている。だから彼は歌聖といわれながらヤマト朝廷から抹殺されたと言われてきたのだ。詳しくは右の書(藤村由加著・新潮社刊)を一読してほしい。

(邑婁)」と「(勿吉)」の二本で日本というのか(^^)


恐怖が作った単一民族

億のウソ道をたどってきた人なら日本の単一民族説がどのように形成されたのか推測できるはずだ。田村麿(百済ヤマト)らによって駆逐されていった蝦夷・エミシというのは、まさに左図の民族・部族だったのだ。しかも生き残ったものには徹底的な差別が待っていた。民衆の中に偏見と差別意識を植え込むと「仲間はずれ」になりたくない一心でたちまち、服従するようになる。これは現代も同じだ。恐怖が走る世界では、人間の心は凍りつくのである。
 おそらく今回の集団ヒステリー的報道で日本の基層で生きてきた高句麗文化はますます消えていくだろう。高麗神社が高来神社に変わるようにだ。もちろん、それがどんなに人類史的な犯罪かは論を俟たない。
 とにかくそのようにして左に見る民族は消えていったのである。何のことはない。日本の単一民族は「恐怖」によって作り出されたのである。
  あの小さな台湾でさえ10種族の
少数民族が確認されている。というように世界は少数民族の離合集散を重ねて今に至っているのだ。当然、紀元前後の北東アジアには自称○○という氏族・民族が無数にいたことが確認されているが、その後裔の少数民族がいまも中国東北地域で独自の文化を保持しながら現代に至っている。
 左図に示した民族は日本語と同じアルタイ・ツングース語系の少数民族である。彼らは中国政府の保護政策で
自治旗(区のこと=というところが重要、後記する)を営んでいるが、同名の民族がロシアにもいる。彼らもまたロシア政府の保護下に置かれて独自の文明を育んできたのはご承知のとおりだ。このようにロシア、中国、台湾にいる少数民族が、日本にいないのは、なぜか?
 なんのことはない、百済ヤマトへの「恐怖心」が彼らからアイデンティティーを奪い去ったのである。かくして、目出度し目出度しの単一民族の出来上がりだ。



地名漢字化の見本が北方四島だ

 ヤマト朝廷(明治政府)が入植する前、クナシリ(国後)・エトロフ(択捉)・シコタン(色丹)・ハボマイ(歯舞)は無文字の中でカタカナのように呼ばれていた。国境の島として耳にタコの名前だから知らないものはない。ところが「クナシリが何で国後って書くんだ?」と言われても答えようがない。「クナシリ」の持つ意味と「国後」という漢字の持つ意味とは関係がないのだ。ところが「漢字二字」で原音を表すにはかなりのごり押しを強いられていることはわかる。「色丹」などは元の呼び名がわからなければ「シキタン」と読んでもおかしくない。というように北方四島は地名漢字化の知られざる学習材料にもなってきた。これらの島に漢字が当てられたのは100年ちょっと前のことだ。もし漢字だけの表記ならこうは読めないかもしれない。これと同じで古代、漢字が当てられる前の地名は発音が違っていたのである。北海道や東北ばかりではない。当然のこと全国どこでも同じだ。こんな初歩的なことを学校では教えない。北海道や北方四島はたまたま近代になってカタカナ・漢字両方が表記されたから漢字以前の発音が残っていただけだ。 そのことを知った上で図内の大陸側の民族名を改めてみてほしい。

ウデヘ族の居住地域「イデ・ハ」が出羽の語源だ

 そう、まさにクナシリ、ハボマイと同じ要領で、例えばウデヘはイデヘで→イデが「」に、が「」に当てて「出羽」という漢字名が誕生したのである(下表参照)。つまりこれらの民族は百済ヤマトに征討されるまでは全国各地に独自の文化を育んで生きていたのだ。そこへ割り込んできたのがフン族の一派、百済ヤマトであり、彼らが漢字の記号性を縦横に使って先住民の「民族名と出自を消し」てきたのである。だが朝廷の漢字の達人・官吏の中には改ざんに抵抗した人がいたのか、または漢字に精通しない者がいたのか、時代を経るにつれてそれと解る幼稚な漢字用法の地名になっていったケースがけっこうあるのだ。
一方通行が「一発ウンコ」に写真
はテレビ番組(6ch)『
さんまのからくりテレビ・セインの外語学院』で猛ハッスルのアフリカ青年・ボビーの迷言?
 『桜吹雪』と言おうとして発したこのセリフ、日本人は潜在的に桜も吹雪も知っているから間違えないが、始めて聞く言葉は
ピジン(おうむ返しに聞き返す)語によってズレが生じるのだ。この場合、「ぷるぎ」を漢字にするとせいぜい「古木」になるが、これでは「pu」音は消滅する。が韓国は独自に文字を作ったので「プルキ」と表記できるのである。このように漢字だけに頼ってきた日本の地名には「ぱ行音」や「R/L音」が欠落している可能性を考慮しないといけないわけだ。「言葉」が国家権力に管理され、情報操作の一翼を担うようになってからは、言語学はもっとも難解な学問の一つになったが、この番組はそんな制約を吹き飛ばした痛快な「言語論」になっている。
 傑作なのは「一方通行」が「一発ウンコ」に変わるのには仰天。このように異文化の接点で「言葉」の変化がもたらされるのである。

  

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地図の列島上に示した民族名がどう地名化されたかを下表に示す

ナナイ 七飯 全国に散っているが「七」のつく地名はこれに由来する。北海道に多い「内」の語源でもある
ウデヘ 出羽 イデが出、ヘを羽に当てている。他にもウデがウタの「歌/唄」にも。出(大)羽が「大和」に訛った?
オウンク オンク→オク→岡ともなり全国に広がる。さらにオガに変化し牡鹿や雄鹿。稲荷神の宇賀神にも
オロチ 日枝 これが最も化け数が多い(^^) オロにイル・ウルを、チにギ(吉)を置きかえると千変万化だ
タタール 土浦 ダイダラの語源。ほかに足利(タルリ)など足・樽・垂・鳥が多い。安羅多羅とは、オロとの合体だ
ホジェン 豊田 豊のつく地名。ヘジェともいうがッズバリ百済の韓国読みだ。北条もヘジェから。中部地方に多い
エベンキ 延辺 エベンともいう。この二字を含んだ地名は多い。土地訛りで「イバンキ」が茨城、茨木になった
シボ 志摩 civo=斯波、神保、芝、柴、塩。chiwo=千葉、千代、千穂とくれば高千穂のルーツ、高は高句麗だ

なお色分けはイエロー系が邑婁(日)系、ブルー系が勿吉(本)系、つまり百済ヤマト系だ。例示はほんの一例である。

エベンキ(延辺)族に「稲荷神」のルーツがあった

狐にあぶらげの謎が解けた極東アジアの民話集に目を通していると面白いハナシがあった。ロシア領内のエベンキ族(中国東北のエベンと同族で上記のエベン・オウンクも同じ)の民話の中に『きつね』という題の話がある。その中で、ある男が狐に「あぶら身」を与えて捕まえようとする場面がある。世界の民話 シベリア東部 ぎょうせい出版 訳者小澤俊夫「エヴェンキ族 民話集」より

 
狐に「あぶら身」! とくれば、お稲荷さんだ。この「あぶら身」をエサに狐を捕まえるハナシは、「あぶらげ」が好物、という稲荷神社の伝説とぴったり合致する。ということは写真右に見るように、全国どこの神社もそうだが本社殿(写真は神奈川・鶴間の諏訪神社)の脇に稲荷神が押しやられているのを見かけるが、本来はこっちのほうが原住民の祈りの場だったのではないのか。そこに百済ヤマトが蔽い被さるように渡来の天孫神を祭るようになったのだ。記紀に記されたヤマトタケルの東国征討はその尖兵だったのだ。稲荷については別ページでまたの機会に。



『街道をゆく』にも書かれているホジェン族の稲荷信仰

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズ28に『耽羅−近くて遠い』がある。その中に「稲荷神の原型」を思わせる次のような一節があって興味を引く。要約はこうだ。

 (略)シャーマニズムの諸様相のなかに、天にいる神は樹をつたって降りてくるという思想がある。 韓国にも日本にもある。 この済州島では、この一幹の樹の場所もまた、「堂」とよばれる。
 「
ポジェ・タ」 とよぶ。漢字では、舗(舎は酉へん)祭堂と書く。舗(舎は酉へん)というのは「人が集まって酒をのんで楽しむ」という意味である。
 一村にかならず一ヵ所はみられ、石台とその側にはかならず大樹があって、場所によっては石垣を囲らしてある。その形態は巫俗の神堂と変わるところがない。

力自慢でワイワイ見事な木は日月神社の神木
 というものだが、そういえばひなびた里や村の鎮守で写真(左上)のような石仏や力石を見かける。ここで注目したいのは「ポジェ・タン」のポジェだ。これは上の表内にある「
ホジェン族」のホジェそのものである。ホジェンは別にヘジェとも自称しているが「ウソ発」は百済のペクチェもヘッジェから来ていると見ている。
 ノーベル物理・化学の賞を2本も取って科学づく日本だが、なぜか最近の若者は陰陽術や霊能者がお好きのようだ。が、シャーマニズムもアニミズムも本場は司馬氏も言うようにこれら少数民族の血統の中にこそあるのである。そんな天地だからこそ古事記の世界が描けたのだ。ということでいよいよ天孫族のルーツを探る。
 

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天皇家のルーツはどこか?

 「億のウソ道」もついに終着地に来たようだ。ところがどういうわけか時流が「億のウソ道」を追いかけてきたのか(^^) 日朝問題とニアミスを起こしそうである。上の民族図で一目瞭然のように日本と日本人のルーツを遡るとどうしても北朝鮮と中国、ロシアの国境あたりに行かざるを得ないのだ。そこにアルタイ・ツングース語族が集結しているからである。 
なんだって? 「ウソ発」がわざと誘導して来た? とんでもない (ーー;) 

 
日本の危機は「記紀 (^^) イデオロギー」がもたらした

日本は法治国である。だが日本と日本人の心性を縛り付けているのは、「六法全書」よりも「古事記・日本書紀」のほうだ。中でもアイデンティティーについてはいまだに「日本人はどこから来たか?」と「行方不明」状態だ。やっとNHKが中央アジアに目を向けたばかりだが、それでも天孫降臨説を覆すまでには至っていない。その証拠に高齢者ばかりか若年層までも、神社で参拝することが、祭神「天照大神」であり天皇家への尊崇であることに気付かない。つまり神前で深々と頭をたれている大半のひとは「われわれ日本人の祖先は天上から天下ってきた」と信じているのである。つまり「記紀による歴史の隠蔽作戦」は1300年かけてやっと成就したのである。ところが皮肉なことに「記紀イデオロギー」が完結したからこそ、現代の危機を迎えることになったのだ。
 「日本の非常識は世界の常識。世界の非常識が日本の常識」などととぼけてる場合じゃないのだ。まさに「記紀」のお陰で「日本沈没」の危機(記紀と同音だな〜 (^^) に瀕しているのである。

 
聞き書き「古事記」を盲信していいのか
さて「古事記」といえば歴史の好きな人も敬遠したくなる難物だ。「ウソ発」は「記紀」は真っ赤な偽書だとみている。それを重箱をほじくるように寄ってたかって論争している学界の内輪もめにはうんざりだ。「ウソ発」がなぜ「記紀」を信じないかというとまず古事記が、百済史の太安万侶が「聞き書き」して編纂したものであるからである。
 無文字社会の記録手段に高度な口伝術があったことはあったことはわかる。がそれを漢字に置き換えるときに生じる危うさは計り知れないのだ。いやだから現代の学界で論争が起きているんだ、という見方もある。が実はもっと初歩段階で「ウソ発」は見破っているのである。
 それは古事記の最初の部分、神代篇の冒頭にある。
 「天地(あめつち)初めて發(ひら)けし時、高天(たかま)の原に成れる神の名は、天之御中主神。」と始まって天つ神五柱が生まれ、つづいて神代七柱が生まれ、そしてそれらの神々に命じられてイザナギ・イザナミが沼矛の塩をかき混ぜて天上から滴り落としてできた島が淤能碁呂(おのころ)島ということになっている。
 そしてイザナギがいよいよ島に
天下るわけだが、ここで目をむいて見てほしいのは原文では「天下る」という箇所には「天降」とある。つまり「天降」を「天くだると読んでいるのである。
 ご存知のように「天下る」は現代でも立派に通じる (^^) コトバだ。毎日のように官僚の「天下り」が報じられているが、その意味は小学生も知ってる。定年退職した官僚が民間企業で在籍したポストの権威や人脈、立場を利用して甘い汁をすするというものだ。その
天下りというのは決して「天降」とは書かない。


『古事記』の「天降」とはアモールのこと

さて余談はここまで。民族分布図では示せなかったがこれらの氏族・民族が繁栄してきたのは大興安嶺から流れる大河・黒竜江の恵みである。黒竜江は別名アムール川とも呼び、支流に松花河などがある。とまあ、学校の世界地図にも出ているから広げてもらえばありがたい。
 つまり「古事記」の冒頭部分に出てくる神々の「天下り」と読ませている「
天降」とは、何のことはない、アモ(ム)ール川のことなのだ。太安万侶は耳では「アモール」→「天降り」と聞いていたことになる。という「聞き書き」自体が噴飯物と思っているが、ようは「アモール」を「天降」と書き、それを「天下る」と読ませてきた点にある。簡単な図解を左に出す。
アムール川のアムールを漢字で書くとどう書く? これは先ほどの北方四島の例でわかるように当てる漢字そのものには意味はないことを知った。が名付ける側は何らかの意味を込めようとするのは古今東西同じである。前出の落書き「愛裸撫遊」と同じだ。
 「
アムール」を「余(あまる)という漢字に置き換えることで「」つまり「我自身」の意味を込めたのはいったい誰だったのか? そう、彼こそ「天降」(あまおり)からきた男だったのだ。
 それが神武天皇かどうかはわからない。ただ日本書紀では神武の諡号が神日本磐
かむやまといわれびこの)天皇(すめらみこと)と「」の字が使われ、「岩が分かれた」と意味づけているていることから、冒頭のタイトルにあるセンベイの比喩に合致するばかりか、「」に「アムール」もしくは「扶余」が織り込まれていることは間違いない。紀元前700年ころにこの地域でアモール川とともに生きた「」が力を持ったことだけは真実だろう。その「」こそ「扶余の始祖」である。

アムールとは「あまる(余)」のこと
「扶余」のことだ

後漢書夫餘国伝は扶余のことをこう言っている。
 夫餘国〔の都〕は、玄菟〔郡治〕(遼寧省撫順市)から北のかた千里のところにあり、南は高句驪、東は邑婁、西は鮮卑と接していて、北には弱水(黒竜江か)がある。
 ということは概略、地図に示した「余」の辺りになる。そこには
チャムス(佳木斯)がある。
 ところでもう一つ、地図上に示したが大事な点がある。百済ヤマトが拠点を築いた飛鳥の
斑鳩は「いかるが」と呼んでいるがこれも実は「勿」の「hun」である。ただこれも「ハン」を表す字が無数にある中でなぜ「斑」の「ハン」にしたのか、なぜ「斑」なのかという点だ。ただ後漢書にもあるが夫餘王の子、尉台という名前にある「仇」という字にある「」が気になる。さらに韓国語風に読めば「斑鳩」は「HANGU」とも読めるのも気になる。がもうそんなことはどうでもよい。肝心なことは古代史はロマンでもなければ、メルヘンでもない。今日あることすべてが古代の延長線にある。「日本はどこかおかしい」というのは「記紀」は絶対不変としてきた日本の政治権力の「正体隠し」のせいだ。

八幡の「幡」もまた「勿」と同義の「旗」である

幡もまたHANだこのように冒頭で馬脚を現した「古事記」だが他にもある。
天孫降臨の場所は鹿児島県西臼杵郡の高千穂ということになっているが、その根拠になった(本居宣長著・古事記伝十七巻に出てくる)「空国を行去(とおり)て、笠沙御崎には、到坐(いたりまし)しなるべし」という「空国」のことだ。これを「むなしい」、つまりやせ細った土地という意味の「」としてきたのが国学の解釈、いやそれは「カラ国」つまり韓国の韓(から)と解釈したのは金達寿氏だった。がこれはズバリ「むな国」である。つまり「胸」「旨」「宗」となる「ムネ→ブネ→フネ→hun→勿」のことである。
ここで引き出しから出したいものがある。百済王で6世紀はじめに没した武寧王と伽耶の始祖王・金首露のことだ。
武寧王の名前も「ムネ」で金首露も「」と刻まれた銘文があるから「ムネ」である。しかも武寧王は斯麻王ともいい、さらに筑紫の各羅(カカラ)嶋で生まれたので、主島(にりむせま)とも呼ばれていたとある(雄略記)からには、ますます百済ヤマトの出自は上記のシボ族・ホジェン族ということになる。
 そればかりか応神天皇を祀った八幡神社の「八幡」の「
」も「han→hun」であり、その「」はもとは「」ではなかったか。というのは現代の中国吉林省や隣の延吉省には、いまも自治「旗」という少数民族の行政区があるからである。これは日本の「郡」に相当するらしいがモンゴル共和国にもあるから、古くは紀元前後の騎馬民族・フン族の残した支配システムだったのではないか。騎馬民族の支配システムを江上波夫氏は「自らは生産も労働もしないがそれらを一元的に管理し、統御する能力に長けていた」という。であるからには匈奴・フン族の解体後、騎馬民族の八氏族(旗)を束ねた応神系(八幡)が、「勿吉」から下って扶余、百済までを舞台に活躍していたことも考えられる。百済ヤマトのヤマトという呼称は8の八に「真人(まと)」でヤマトとしてきたが、むしろ八旗(はた)の「」が「」と同義ならこちらのほうも懸けてありそうだ。いずれにしろヤマトという呼び名のルーツはここら辺にある。

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