「久伊豆」の[伊豆]
「高井戸」の[井戸]って何だ?


地図をもう一度見よう

高井戸や井の頭、香取神社や久伊豆神社
上の地名や神社名はいずれ?も「weadoo」からきている。さらに目を向けてほしいのは、陶器の世界だ。「一井戸、二楽、三唐津」といわれて珍重される「井戸焼き」茶碗は萩焼が生んだ名品だが、その「井戸焼き」のルーツを探し当てた渡辺茂樹氏(写真は氏の著作)によると、「井戸焼きのルーツ」は韓国慶尚南道の海岸線に近い河東にあったというのだ。この地で生まれた「河東窯」の技法が豊臣秀吉軍に囚われて日本に来た井戸焼の祖・李勺光、李敬らによって山口の萩窯で花開いたのである。余談になるが、有田焼や薩摩焼もみんな朝鮮半島から拉致されてきた陶工によって、完成されたことも知る必要があるね。ということはその子孫のルーツも自明なのだが、これまたひた隠しに隠し通されてきた。それはともかく、その「井戸焼き」のルーツ探しには興味を引く話がも一つある。
「井戸焼きのルーツ・河東」窯から20キロの近くに、これも茶道で有名な「
上野(あがの)窯」のルーツらしい水底古窯跡群が見つかった、という記事だ。
さて、萩焼の「井戸焼き」や「上野(あがの)窯」の記事中に出てくる「weadoo」系の地名に接して、どう思われるだろうか? うんうん やっぱネ〜 (*^^)v
東京の
高(井戸)といい、さいたまの(久伊豆)といい、萩焼(写真)と同じように倭奴のルーツは朝鮮半島にあるのではないか、ということになってきた。ではいったい「weadoo」(倭奴)って何だ〜 

井の…」「…井戸」は
「倭奴(
weadoo weanoo)」のことだというのが
わかった。では、
その weadoo(倭奴)とは何だ?

約2000年前、朝鮮半島南部と日本列島に住んでいた人々、倭人とその地域のことを文明先進国・漢の役人は、「weall またはwiLL」と聞き取った。その「読み」に対して倭奴「weadoo weanoo」という字を当てたのだ。しかも「タ・ラ・ナの通音」法則で容易に交換する。
つまり結論的に、倭奴(weadoo weanoo)のルーツはイル(weal〜ill)であり、それが変化したものである、ということだ。
ところが「倭」という漢字に、中華思想の「蔑視」があることを知り、それを忌避した者が、さまざまな字を当てるようになったのだ。
 倭という漢字を真っ二つに引き裂くと「イ」と「委」になる(^^) すると両方とも読みは「イ」になるわけだ。
そう、右の写真は幕末の大老・井伊直弼の墓がある世田谷豪徳寺だが、井伊も「倭」の「イ」の偏を切り取った当て字であり、ほかにも「岩井」「江戸」など「イ」「ウ」が頭につく地名、名前はほとんどこの「倭」から来ていると見てよい。倭者(weaもの)が「右衛門」になったのもそうだ。また韓国、中国には「李」姓が多いが、これまた「イ」であり、「倭」の忌避による創姓である。
こうした音韻変化を理解するには、こ難しい言語学の法則が念頭にないとなかなかわからない。ましてや「日本語は陰陽説や言霊から成り立っている」などという言説が堂々と第一線でがんばっている日本においては、なかなか理解されないのだ。大学を出たものでさえいまだに「言葉が文字より先にあった」ことを知らない、と「日本と韓国は字が違うから別系統だ」という珍奇な説が飛び出す世界である(^^) がそんな古い体質から抜けきらない日本語学会に20年も前から警鐘を鳴らしてきたのが写真(左)のロイ・アンドリュー著の「日本語の起源」だ。ここで彼は日本語の日本人研究者をこう批判している。

 日本の一部の学者たちは、日本語にひそんでいると信じているこの神秘的なまたは精神的な特質…それがあるため日本語を人類の一個の言語として取り扱うことはできないのだと彼らは言う…を表現する古代日本語の一単語をよみがえらせている。それは言霊「日本語の霊」である。ついでに述べておくが言霊をこの特殊な意味で用いることは、日本語、日本文化の内部におけるこの単語の歴史に暴力を加えることでもある 日本語の起源について、欧米の学界に目を向けると、今まで日本の学界について述べてきたこととは状況が正反対であることがわかる。欧米では、この問題についてのコンセンサス(定説)が存在する。
 −日本語やツングース語、さらに恐らく朝鮮語の話し手たちとともに−祖語共同体として共に生活していたのである。我々が、「アルタイ祖語」として言及しているのは、まさにこの祖語共同体のことなのである。 重要な事実は、この問題を研究する日本人学者の驚くほど多数は今なお、一九四五年〔昭和二十年〕以前のファッショ国粋主義の全く時代おくれの年代観にともなう不必要な抑制のもとで研究をすすめていることである。この方面におけるまじめな、あらゆる種類の研究を今なお妨げているのは、この全く信頼できない初期日本文明年代観であることは一般に認識されていない。日本語起源の問題について日本で行なわれた代表的な研究を子細に調べて見ると、日本のすべての歴史言語学の学者の努力をこれ以上抑制している要因は他にない、という見方を欧米の学者たちの多くはとるにいたってしまう。

つまり彼が言ってるのは、「日本語の起源」は、きょうはタミル語、明日は雲南語というように、日本ではまだ確信すべき結論が出てないということが信じられない、というのである。もちろん「あたらしい歴史教科書」がこの点にどう答えているかは押して知るべしだ。しかも「日本語研究」は海外のほうが研究成果が広く行き渡って、日本語は「アルタイ・ツングース語族」であるということはコンセンサスを得ているのに、日本にはまったく紹介されていないという事実だ。「歴史教科諸問題」はこうした背景を考え合わせてよ〜く考えないとナ。ウン。

「ウソ発」は当然、ロイ・アンドリュー氏の「日本語・アルタイ・ツングース語族説」をとっている。それを補強する研究が左の書「ウイグル その人々と文化」に出ている。シルクロードの考古学と題した講演で、西谷正氏は「縄文から奈良時代にかけての遺構から出てくる「鞍形すりうす」を見ると新疆ウイグル自治区における古代文化が、日本や朝鮮の古代文化の中に」色濃く現れているというのだ。氏の説明ではこうなる。中国・漢代の文物が、どうして弥生時代の日本列島に入ってきたかということを考えると、それは当時、朝鮮半島に設置されていた楽浪郡を通じて入ってきたものである。つまり、それはどういうことかというと、弥生時代のころ、中国では漢の時代であるが、漢は中国全体を統一した後、朝鮮半島の北部に楽浪郡という、いわば植民地を設置した、からだというのである。

…ということは…

アルタイ・ツングースて何?

アムール河に注目

このマップが言いたいのは、「日本語のルーツはアルタイにあり」ということだ。冒頭の「weadoo」つまり、「井戸」や「伊豆」のルーツはここにあるということだ。いきなり強烈な、と思うだろうがよく地図を見てほしい。その前にもう1冊、本(右)を紹介する。本の中で重要な発見があった。
イルクーツクからオロチョンまでの間にある「興安嶺(シンアンリ)が満州語で「金の山」,アルタイ山脈もモンゴル語Altan(金) Uul(山)から「金の山」,加えてアルチン山脈もチュルク語起源で「金」である。いずれも金の採掘場と関係が深かった山名である」といっている点である。

さて、ここまで来ると日韓の古代史をかじった人ならピンとくるはずだ。そう、新羅国の始祖、朴赫居世の別名・閼智(アルチ)の姓は金色の櫃から生まれたというので金とした、という説話がある。となると上記のアルタイの地名由来と符合するではないか。

その閼智(アルチ)のR音が抜けたのがアチ(阿知)だ。しかもこの阿知は日本書紀・古事記に登場する東漢氏の祖の阿知使主(オミ)でもある。
応神天皇二十年秋九月の条に、次のような記事がある。
「倭漢(やまとのあや)直の祖阿知使主、其の子都加使主(つかのおみ)、並に己が党類(ともがら)十七県を率て、来帰り」というのである。つまり朝鮮半島から17県の人々を連れて日本にやってきたというのである。これは想像もつかない大挙の渡来になる。さらに想像を膨らませれば、阿知使主の渡来が桃太郎伝説に投影されていることもあり得るのではないか。
そういえばオトモになった「イヌ」は高句麗、「サル」は沙婁(さろ)とも呼ばれた百済、「キジ」は別名・鶏林といった新羅のこと、というように三国の名前がきれいに符合するではないか。ということは古代朝鮮の三国からの人々を引き連れ、列島各地に先住していたオニの「縄文人」を蹴散らしていった話ではないのか。

その縄文人「倭奴」の最期の首領・アテルイの首像が、


鹿島神宮(写真)にある。実物の首像に会ってきたがその形相は別名「悪太郎」と呼ばれたように憎々しい形相だ。が田村麻呂を手こずらせた「イル族」の最期の頭領だけになるほど見るからに屈強そうだ。
その「
倭奴(イル)」のルーツはアルタイにあることは間違いない。しかも「日本」という名前も朝鮮語読みでは「イルボン」で「イル」系である。さらに、。東北のある地域にあったことがわかってきた。ということは鹿島神宮と対峙して建立された「香取神宮」とはどんな関係にあるのか、戻ってみてもう一度考えてほしい。「久伊豆」と「香取」には「狗(久・香)」が潜んでいた。その「狗」は夫余族のシンボル、「おおかみ」のことだった。とすれば、アテルイもまた夫余族の系統ということができる。崇神天皇の名前がミマキイリヒコで「イリ」が「ミマキに入った彦」としているが、これは「イル」、つまり「イリ」系天皇のことだ。垂仁の名前もイサキイリヒコ〜イニシキイリヒコで「イリ」のつく天皇はほかにも見える。となると百済系のヤマトも先住の夫余族も同類ではないか? それがなぜ、争うような羽目になったのか?
なぜ倭奴「イル」の最期の首領・アテルイが鹿島に?

検証すべきことはまだまだある。マップに戻ってみよう。「アラチ」というのがあるがこれは愛発(愛知)のことだ。とすれば「熱田神宮」の「熱田」もタ・ラ・ナ通音でアルタからきたことは十分考えられる。このように「アルタイ」という深層言語が日本語の基層に横たわっていることがわかる。もちろん「イル」もそこに入る。これについては前回のページをリンクすればよくわかる。

海外ではすでに結論が出ている、日本語のルーツを日本の学界や歴史家が快く納得しないのはなぜか? それは頑迷な皇国史観のせいだ。地名も人名説話もみんな記紀から始まっている。しかも記紀は天皇家のルーツが天上の世界にあり、その徳は世界(八紘一宇)にあまねく行き届く、とする。21世紀の今日もこの思想は「侵すべからず」生きている。だから言語学(国語学は別だ)が迷路に入ったままだ。いったいこんな非合理な論理世界を生み出した背景とは何か? 驚くべき事実がそこにあった。

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