あたら
あらた![]()
という字がつけば新しい地名というのはウソだ
日ごろ、「新」という字のついた地名によく出くわす。
ところが「新」がつくから新しい時代の地名かというとそうとばかり言えないのである。
例えば
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東京で最も庶民の信仰を集める
新井薬師と西新井の大師さん
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いったい、そのルーツは? 関東海進が進み、そこに巨大な新天地 が…。 もともとは原始シャーマンの素朴な祈り (稲荷)の場であったこの地に排仏派の 物部を破った崇仏派の八・真人(ヤマト) が押し寄せ、「真」宗に改宗していったの が真相だろう。どちらも弘法大師信仰が 厚い。 ←東京・西新井薬師 東京・中野・新井薬師→ |
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いずれも近くに渡来遺跡がある。 ←竹ノ塚の白幡古墳 板橋・茂呂遺跡→ |
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←西伊興史跡公園 近くの鎮守・氷川神社→ |
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いやそれどころか、この「新」こそが
ナリスマシの原点であった (^_^)/~
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むしろ地層的にたとえるなら、列島で最も古い地名といってもよい。
それは下図を見ればわかる。
日本語がウラル・アルタイ・ツングース語族に属することは前回まででわかった。
その地域名である「アルタイ」が朝鮮半島と日本の地名、人名に反映していることも見てきた。新羅の始祖、朴赫居世の別名・閼智(アルチ)や古事記に登場する東漢氏の祖の阿知(アチ)使主などもそうだ。さらに厚木や周辺の依知(ヨルチ)もその一例だ。
が、もっと身近に、そして巧妙にその名を潜めていた「隠れアルタイ」があるのだ。
それは倭奴(Weanoo)の項でも説明したが、水・ウオーター(water)がウオーラーと発音するように、「アルタイ」から「アッライ」に変化して「アライ」になった「新井」「洗」である。
それが各地にある「新井」「荒井」「洗足」などの地名起源である。もちろん地名ばかりではない。「百済の方言に母をオモと言へり。今も朝鮮の俗に母をオモと言ふは、古の遺言なり」(『東雅』)と朝鮮語と日本語の相関関係を早くから指摘していたのは新井白石だったし、何年前だったか、韓国籍から日本に帰化し、汚職で失脚した政治家がいたが彼の姓もまた新井だった。もちろん荒井も同じく「アッライ」だ(^^♪。
ほかに古代朝鮮の『三国史記』地理志に、「法興王のとき阿尸良(あとら)国を滅ぼして、咸安郡とした」と記録にあるが、この阿尸良国は「アッライ」からきているとみてよい。これが安羅の前身だ。
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東京にはほかにも「新井」がある
新撰組の中でも人気の高い土方(ひじかた)歳三。彼の生家が日野・淺川の側にある。その対岸にも新井という地名が見える。地続きにある高幡不動尊の山門をくぐるとすぐ左手に彼の銅像がある。この前に立つ人の多くがはるばる墓前(写真下)にお参りするようだ。
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土方歳三の生家がある地域には「土方」の表札をかかげた家が多い(下右)。おそらく古代から南朝鮮の「ヒジフル」から渡来してきた一族だろう。近くに京王電鉄が経営する百草園があって、四季を通じて訪れる人が多い。
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| 高幡不動尊には近在からの参詣人が絶えない。目 の前の川崎街道の騒音も届かない静寂な裏山には 四国巡礼めぐりをあしらった88の石仏がある。順を たどっていくといつしか山頂。そこにはここが古代か ら要所だったらしく、ひっそり城址の標があった。 |
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アルタイの地名はわかった
では、ツングースというのはどうなんだ?
ホイきた(^^)
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世界向けの辞書・Bookshelfをみるとこうある。
ツングース【通古斯】Tungus(ロシアTungus)中国東北部、東部シベリアに分布する民族。主として狩猟遊牧民。粛慎(しゅくしん)邑婁(ゆうる)・勿吉(もっきつ)・靺鞨(まっかつ)・渤海・女真(じょしん)などがこれに属する。シャーマニズムの祭祀形態が顕著で、古代日本人との関連が深いといわれる。
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さて、上の説明内容はともかく注目してほしいのは、ツングースの漢字表記とロシア語(の英語)表記である。いままで多くの歴史学者がツングースについて語ってきたが、誰一人としてこの漢字表記と英語表記に触れたものはいない。いや見落としてきたのだ。改めてよく読んでみよう。どうだ! これを地名に比定するとドンピシャだ。そう…
ツングース【通古斯】Tungusもまた地域名だ
| 通古斯 古斯 | 筑紫 戸越 富樫 櫛 楠 |
| Tungus Tunu(g) | 敦賀 都筑 駿河 津軽 角 剣 鶴 |
漢字表記で通古斯と書くtungsはヤマト朝廷の手によって「筑紫」と改められたのだ。その結果、1300年もの間「筑紫の国」に成りすましてきたのである。筑紫の君といえば「磐井の乱」で有名だがこれはあくまでも百済王権に抵抗したというだけの話。つまり「磐井」もまた倭(weai)のこと、大枠では倭奴(weadoo wealoo)と同根だ。新羅と接近したことで征伐されるが新羅の中にもツングース系が多いのは「秋田美人」の項にもあるように韓国でも認知されている。下の地図に通古賀という地名があるがこれを地元では「とおのこが」というらしいがお笑いだ(^^)。
古来から、集落が発展することで地域が合体、双方の名の一部をとって新しい地名にするのはよくあることだった。


上の地図は東京に行った人ならすぐわかるホテル・ニューオータニのある紀尾井町。その地名の由来は弁慶橋脇の公園(右写真)に掲示されている説明を掲げるまでもなく赤い引き出し線で一目瞭然、三者の合体名だ。こうした例は最近、とくに見受けられるね。危ない銀行同士(^^)の統合などでおなじみの名づけ方である。同じように筑紫・「通古賀」というのは「ツングースと伽耶の合体名」である。
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東京にもどっこい「通古斯・ツングース」がある
武蔵荏原郡の中心・戸越(通古斯)がそうだ
戸越・とごし=Tungus=とぅこし・通古斯
東京品川の八幡戸越神社には左の写真に読めるが「戸越の地名の起こり」という碑がある。見てのとおりだが、「江戸越えて……」という歌に由来をとるという、いわば単純なこじつけに過ぎない。このての地名説話はもちろん科学的な根拠はない。
がこうした説話がもっともらしくいまだに通用しているのだから、日本沈没も間近いネ (^^)
江戸を「江の戸口にあるから」という江戸地名の説話が堂々と東京都の案内パンフに登場していることを思えば無理からぬことだが、この「戸越(通古斯=Toogosi)」は何を隠そう正真正銘の「ツングース」である。つまりツングースから渡来した人々が品川のこの地に古代から住み着いていたのである。なにも驚くことはない。探せば続々と出てくる。
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そんな戸越の近くに磐井神社がある。延喜式神名帖に記載される古社だが境内の由緒には徳川家との因縁が語られているだけ。が、むしろ同社に秘蔵されてきた「鈴石」のほうが面白い。社の略紀によると『此石は、神功皇后三韓御征伐の際、長門国に宿り給ひし時、豊浦の海にて得玉ひしものにて、御船中の玉座近く置かせられ、夷狭御征伐神国豊栄の基を開き玉ふ』とある。つまり新羅征伐の折に拾った石で「サウサウとして鈴音あり」ということで「鈴石」と呼んだというが、ウソ発の見方は違う。おそらく「鈴」は「つづ」から訛ったもので、玉座に置いたという説話も当時の通古斯(ツングース)を邪険に扱えなかったからではないか。ここに出てくる「鈴」は、日本最大の姓名である「鈴木」にも関係がある。が、これは次回だ(^^)



しかもこの地域の古地名は「入新井(写真中)」である。といえば、どうみても戸越(「通古斯」ツングース)である。
さらに
秋田美人のルーツがツングースだという説はマジ本当だ
そういえば『秋田美人の謎』(新野真吉著 泉社刊)の中で氏はこういっている。
…五、六年前に大邱を訪れた際…K大学の日本学関係の研究機関をたずねた時、そこの総長は「大邱と秋田は共通するところが二つある。美人の多いこととリンゴを産出することだ」とあいさつされた、というのである。さらに北越の豪雪地で使われる幼児の揺り籠「すかり」も「えじこ」も、民俗学者諸家などの研究で、シペリヤのツングース文化の伝来したものであることが明らかにされている、という。この本で著者は日本とツングース族との交流を明らかにしている。雪国だから、という俗説もまた「ヤマト」のツングース隠しだ。
さらに、横浜市都築区の都築(tunug=剣)もそうだ
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←神奈川県横浜市都筑区の剣神社
Tungが受け継がれてTunuguとなり、nuはタ・ラ・ナ通音変化でルに変わりツルグ(Turug)からツルギに変わったものだ。
漢字のイメージが一人歩きしているケースはよくあるがこれもその一例だ。当社に「剣」にまつわる伝承はない.むしろ都筑区という区名(Tunuguの変化)こそがこの地にツングース地方からの渡来伝承を含んでいるといってもいいのではないか。ついでに言うならよくある「つくし」「う・つくし」という名前も通古斯かくしで変えられたものだろう。がそれらの地名も基層に「Tungus」があることは明白だ。
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「億のウソ道」もそろそろ折り返し点に来たようだ この次はいよいよヤマトによる人名隠しに挑む