隠蔽と偽装とねつ造の

 日本の「隠蔽」は2000年前のここから始まった




『漢委奴国王』
の印影
志賀島


「漢委奴国王」という印刻の意味をめぐって
時の学者は
「漢の倭の奴(な)国」と読んだ。
そこから大いなる
ウソの歴史が始まった

この本の中で 慶應義塾大学名誉教授・西岡秀雄氏は、金印の『倭奴国王』とは「アイヌ国王」だという。
武蔵国本 アイヌ文




『江戸』も『上野』も『アイヌ』も語源は倭奴だった

『倭奴』がどう読まれ、書かれているか



漢字の読み方がいまのように統一されなかった2000年前、
漢字の聞き取りも読み方も人や地域によって違っていたのだ。
有名な言語学者・チョムスキーも「言語学は、口腔学だ」とさえ言っている。
つまり下記の地名は深層言語的にはみんな
「倭奴」なのだ。

「倭」の読み 「奴」の読み 該当する地名(すべて倭奴のことだ)

ぅわぃ

ぬ、の、ど、と 倭奴、岩野、岩戸、アイヌ、会津、岩手
の、ど、と、ぬ 猪野、井土、伊都、犬、伊豆、伊能
ぅえい ど、と、ぬ、の 江戸、江渡、上野、植野
ぅお と、ぬ、の、ど 音、淀、小野、魚津、小戸
ぅわ ら、り、る 和田、尾張、悪

情報発信基地だ、知識集約の中心地だと自負する東京だが、ガイド本やマスコミでは相変わらず「江戸の語源は江の戸口にあったからだ」と能がない。しかも徳川幕府を開くまでは「辺鄙な漁村であった」と紹介しているが、実際どうだったのかという疑問があるがここでは5千年は残るという地名の深層を信じたい。



結論から言えば「江戸も上野も倭奴国だった」ということだ。21世紀も間近いというのに相変わらず「江の戸口にあったから江戸だ」というのは世界に向けてもみっともない。一度こうと決まればテコでも動かないのが日本の流儀だが、それが真っ赤なウソだとしたら? 2000年も続いてきたウソ、その上に築いてきた学問や知識っていったい何だ〜 てことでミレニアムにふさわしく、2000年前の江戸がテーマだ。

上野 上野界隈は江戸の名残が色濃く残っている。たしかに高層ビルで覆われてはきたが、ちょっと大きな道の裏に入ると昔ながらの町家があり、そこには何代も続いた生粋の江戸っ子が健在だ。さてその「江戸」を歩いていて見つけた「ウソ発見」をデジカメで紹介する
ホームに戻る
上野から目と鼻の先にある亀戸天神。
受験シーズンともなると合格祈願の受験生たちであふれるが、藤と菖蒲の名所でもある
亀石 本殿手前の脇に「天神」とは関わりのない「神様二体」がひっそり安置されていた。
亀石だ。それも二体ある。亀石は韓国に行った人ならご存知の「伽耶のシンボル」である。伽耶については次回にゆずる。
犬石 さて、写真1で見るように「おいぬさま」と「亀石」が切り離せないワンセットのように並んでいる。
おそらくこれらについて神社側にも史料があるだろうが経験からいってほとんどが不詳だ。
亀戸という地名の由来(字は亀と井戸の合名のようだが中身は亀とイヌ、倭奴)ともいえるこの亀と犬は何を意味しているか。
ページの頭にある表を見てほしい。イヌは「倭奴」であり、亀は「伽耶」であることは紛れもない。この石像が製作されたのは最近かもしれないが、決して離せないように並んでいる姿から見て、この二体の伝承は2000年前からあったに違いない。しかも志賀島から遠く離れた武蔵国にも倭奴と伽耶の連合体があったことを証明するものだ。しかもこれだけではない。まだ他にもある。

トップに戻る

大宮鳥居 地元信仰の篤い大宮神社だが神社の案内看板に「東京のへそ」とあったくらい神社側に「ここが江戸の中心」という自負があるのだろう。大宮という地名についても後日触れる。とにかく鳥居の威容が見事だ。
ここも本殿の脇に、一見何の変哲もない木が二本あった。が、その神木にあった由緒札に書かれた内容に目がくぎ付けになった。
共生きの木
カヤの木にイヌ桜が寄生しています

とあり、以下は写真上で読んでほしい。その意味は「この二本の樹木を見なさい。伽耶と倭奴がともに助け合って生きているよ」というわけだ。もちろん亀戸の場合と同じ、亀とイヌ桜というのは伽耶と倭奴の隠喩である。
亀戸天神と大宮神社にみられた「伽耶と倭奴連合」の隠喩。はたしてこれを偶然といえるだろうか。おそらく全国にこうした隠喩が隠れているに違いない。
東京の都心ですら2000年前の倭奴国の痕跡が残っているからには全国にあるに違いない。
もし近所にあるよという方がいたら、ぜひ教えてほしい。
「ウソ発見」で紹介したい。

トップに戻る

中華街 神奈川県内にも「倭奴」の足跡がある。下の地図を見るとすぐ下方に「上の宮」という地名があるのが分かるがこのあたりは複雑な丘陵がつづくため、昔の面影が色濃く残っている。おかげでご覧のような時間が止まったかのような一角が保存されたのだろう。おそらくこの辺りに「倭奴」族が集落を作っていたのではないか。


ハマ地図 新幹線・新横浜駅に近い大倉山は閑静な住宅地で地形的には複雑な丘陵がつづく。見て分かるように下のほうに「上の宮」があるが、これは冒頭の表で示したように「倭奴の宮」であったろう。
ハマ熊 横浜市内でありながらこの一角はまだ昔の面影が残っている貴重な土地だ。七五三の日でもあったこの日、近在の氏子がひっきりなしにこどもを連れてお参りにきていた。
裏山がご神体の山だが鬱蒼とした樹林は保存が行き届いている。
ハマ池 熊野神社の目の前にある「いの池」。撮影日は秋晴れの明るい日だったがご覧のようにここだけが昼なお暗い別天地だ。池の淵に立つとどこかで池の主がこちらを伺っているような錯覚に陥るほど怪しい雰囲気が漂う。
中ほどに建つ祠にはいまなおお参りする人が絶えないようだ。
ハマ札 由緒が書かれた札。読めると思うがここに入植してきた熊野信仰族と土地の蛮族(これは当然倭奴族だ)の争いがあったことを物語る内容だ。熊野信仰族とは当然、伽耶(南朝鮮)からの人々だろう。


トップに戻る

千葉神社 東京、神奈川にあるなら千葉にも当然、2000年前の「倭奴」はある。しかも他よりも「倭奴」色が濃い。地図は千葉駅から近い千葉大学周辺図だが、○で囲んだ個所を拾ってほしい。亀のつく地名といい、天王塚といい、倭奴と伽耶のつながりを連想させるに十分な地理だ。加曾利遺跡や古代ハスで有名な大賀ハス池も近い。


千葉地図

写真は郷土博物館のある千葉城。
見上げる高台に建っているが、かつてはこの麓まで海だったことが「亥鼻」という地名で分かる
かつては「亥鼻城」と呼ばれた、と石碑が建つ。
いまはこの台地から海を臨むことはできない。
この地の地名「亥鼻」の「鼻」とは岬のことで古代朝鮮語の「ハナ」、つまり「初・はじめ」の意である。「鼻を切る、しょっぱな」のハナである。

「亥鼻」はトップの表にみるように「倭奴=いの」であり、ひょっとするとこの地名が「江戸」の語源になったとも考えられる。
ちなみに「いのしし」も「倭奴シシ」からきているとみてまちがいない。
地図を見てほしい。「亥鼻」の近くに「亀井」「亀岡」という地名が残っている。これは東京、神奈川の例と同じ、伽耶の人々が渡来してきた証である。この亀岩は「千葉神社」の境内にあるもので、いまなお信仰を集めている。
その「亥鼻」の千葉大学構内に「七天王塚」がある。北斗七星を模した位置取りで並んでいるのだが、周りが盛り土されてきたのか、いまは塚の頭しかない。
祀られているのは「牛頭天王」だ。
南朝鮮、高霊の伽耶山は別名、牛頭山とも呼ばれる。この地に定住した伽耶の人びとの中からやがて豪族が出て、千葉の基礎を築いたのではないか。

「亥鼻」から3キロ内陸に入ったところに
有名な「加曾利貝塚遺跡」がある



トップに戻る


な、なんだ この地図 1000年前の日本?
で、その上にあるのは

そう 日本の北部に『倭奴』があると信じられていたのです

これが日本が描かれた世界最古の地図

 古地図本 

当時の中国から見た日本の方位を示したもので、なんと大雑把なことか。ところが日本と倭奴が別の島になっています。これも当時の認識を示すものと見ていいでしょう。

「歴代地理指掌図」所蔵 宋・税安礼 1100年頃の成立、1135年頃の改訂版
『地図に見る日本』海野一隆著 大修館書店刊より

ホームページに戻る