あなたはミレニアムサンシャインに何を祈ったか?

太陽系の創造主、太陽。そしてニッポンの国号でもある

そこで今回は国号「日本」に秘められた「うそ発見」

ニッポンが「日本」と名付けたのは「朝日町」が多いからか?(^.^)

「日本の魂」「日本人の心」「日本の言霊」という具合に新聞、雑誌、テレビで毎日のようにお目にかかるこの「日本の〜」という冠詞? いったいこの「日本」というのはいつから登場したのか。ま、待ってよ。これって日本国の名前だろ? そ。「日本人の心」というからには「日本」という国号ができてから始まった「こころ」ということになるね。?? そう、おかしいのである。そこでこの「日本」という国号がいつどういう形で登場するのかについて書きたいのだが、左の大和岩雄氏の著書に集大成されているのでここはパスする。え!なぜ? 学術的に網羅されているので興味があったら読むべし。が、「うそ発」的に言わせれば、「日本」が文書に顔を出すのはせいぜい7世紀初頭で、紀元2千6百年建国という「日本国」の歴史記述とまったく違うのである。でもって今回ここに新説を発表する。エッヘン

この著書で大和岩雄氏は六つの「日本」国号始用説を列挙しているが

興味を引くのは、「旧小国日本が倭国を併合」(『旧唐書』)、

「倭国が小国日本を併合」(『新唐書』)の結果、日本国が誕生したという説だ。

他にも江戸中期の国学者谷川士清という学者が『倭訓栞』の

「ひのもと」の条で、「俗諺に奥州日の本の称」とあるのは、

「日本紀に、東夷之中有日高見国といへる意なるべし」と書いている…

がここもパスだ。しかしこの記事は覚えておいてほしい。
いつの日か「え〜っ」となるから(^.^)

さらに進もう!

上記の書には他にも注目すべき記事がある。
それは「日本」の名付け親は百済王だ、という説だ

さて、そこで思い出してほしいページがある。そ、オープニングページの最後のほうにあったあのマップだ。

ここは重要だよ!

←真ん中のサムネイルをクリックすれば拡大するその中にこう書いてある。

『図中に記入した番号の順に地名を見て行くと、@はコ・イプン(コはタイ話で島、日本島)、Aはラマシ・イプン(ラマシの意味不明)、Bはマカサケ・イプン(マカサケは長崎か)、Cはムアン・イプン(ムアンは国、日本国)となっていて、これら四島が日本(イプン)なのである。』さらに『Eはコリア・イプン(高麗(朝鮮)、イプンは誤入であろう)』とあるのだ。(以下抜粋・原文まま)

「歴代地理指掌図」所蔵 宋・税安礼 1100年頃の成立、1135年頃の改訂版
『地図に見る日本』海野一隆著 大修館書店刊より

しっかり読めると思うが日本のことを「イプン」と書いている。「イプン」はもちろん下図に示したようにR音が消滅した「いるぷん」のことであり、しかも、高麗のことを「コリア・イプン」と表記しているようにイプン」は「太陽信仰族」を意味していると見られるのである。時代考証に不備があるとしてもこの発見は興味ありだ。漢字が登場して「日」が呉音の「ニチ」に当てられて、やっと「にほん」へと変化するのだがその前は日本のことを「イルプン」と呼んでいた可能性があるのだ。

さて「」は古代「」と同義語だったが、
これを日朝両語でみると次のように対応する。

日・火(プル) プル(pul) ピ(pi) ヒ(fi) 日(ひ)枝
朝鮮 ぷる(pul) ふる(ful) いる(ile) 居(いる)木

ついでに、「プル(日・火)」は四季の「」の語源でもある。
うん、なんとなく解かるネ

日本のことを「イルプン」と呼んでいた可能性がある

「日本」という呼び方が「朝鮮半島」から来た、とくると「ちょっと強引じゃない?」と思う人がいるかもしれない。が「日いずる」というのはどの辞典にも書かれているように「朝日の昇るところ」、つまり「日本の美称」ということになっている。これは此方のことを彼方から見たときに使う言葉だから、対岸の「朝鮮から見た景観」としての「海の彼方に日出ずる国」とみたほうが自然なわけだ。
そこで別の見方、つまり古代史に深いかかわりのある「日枝神社」の「日」を取り上げてみる。と、そこに重大なことが隠されていることが解かってきたのだ。さあ、続けていこう。

東京・赤坂・日枝神社のヒエとは?

東京・赤坂・日枝神社(小学館CD-ROM Bookshelfより)
東京都千代田区永田町にある旧官幣大社。祭神は大山咋神、国常立神、伊邪那美神、足仲彦尊。文明年間太田道灌が武蔵国川越の無量寿寺の山王権現を江戸城に移し城内鎮守としたのに始まる。徳川氏入府以来将軍家の産土神。例祭は山王祭、御用祭、天下祭といわれ、江戸三大祭の一つ。江戸山王権現。
とある。
繁華なビジネス街・赤坂を見下ろす小高い境内は、都心とは思えない静寂さが漂う。そんな雰囲気に引かれて昼休みには大勢のサラリーマン・ウーマンが弁当持参でわんさか集まる。

さて問題は、全国津々浦々、とくに関東に多い「日枝神社」。

別名を山王ということでどこでも見かけるね。その

「日枝」というのは
朝鮮語のイルギだった

先に進めばその意味がはっきり浮かび上がってくるよ

『日枝』と『イルギ』は同じ言葉だ

その証拠が次に示す「(居木)イルギ神社」だ。

東京の環状道路の中でもっとも古い環状6号線、通称・山手道りはこの辺りが終点だが、交通量はむしろ湾岸の倉庫街を控えてどんどん膨らんでいく。
曲がりくねって流れる目黒川に面していまは有名製薬会社の工場が立ち並ぶが、古代の趣はどうだったのだろうか。おそらく鬱蒼とした森陰に龍を思わせるせせらぎが巌を噛んでとうとうと流れていたのだろう。その目黒川の河口に品川神社、東海寺がある。さらに居木橋のまわりは高層ビルが林立している。
環状6号線からは狭いだらだら坂を入るが、家屋の頭越しにそれらしい森は見えるのだが、込み入った路地に迷いこんでなかなか近づけない。がこれもウオッチングの楽しみでもある
そんな小高い森の中に「居木神社」がある。
見てのとおり、嬉しくなるほど神社らしい趣だ。入り口にもと山岳信仰の一部を担っていただろう溶岩をしつらえた造山がある。
「居木」の語源として、昔この地に「ゆるぎの松があったから」と由緒書きにあったが、おそらくその通り、ここは「ユルギ」の里だっただろう。すでにそのころは「イルギ」の意味は風化して「ゆるぎの松」にかろうじて残っていた、というわけだ。
「イルギ」が「日枝」と同義語だと言ってもおそらく、いまの日本言語学の世界では受け入れないに違いない。が次のように同じような例が出てくるともはや信じざるを得ないだろう。

日枝とは、「日(イル)とギ・チ」の連合体だ。それは古代朝鮮半島に居た太陽信仰(日)族のフン族・匈奴の一部が日本列島に渡ったことを意味する。

『日枝』と『イルギ』は同じ言葉だ(その2)

神奈川・厚木市の寄木神社。これも元の読みは「ヨルギ」で上記の「居木」と同じ、「日枝」と同類である。この辺りの地名は漢字化される前はどう発音されていたのか興味がある。
例えば「八的」はヤマトとも読めるがどうなのか? そんな風土の中にある「寄木神社」はいまなお篤い信仰の対象になっているようだ。
バスを待つ子供らが写ってしまったけどゴメンね。
上の寄木神社から相模川を越えると寒川町に入る。この辺りは高座郡でもあり、ご存知、高句麗からの渡来人が入植したと記録にある土地だ。という点を考えるとこの小動神社の神格がつかめる。つまり「ユルギ」の頭に「小」がついてるがこの「コ」は、まさに高句麗の「高」だ。
という小動神社(こゆるぎ)も「イルギ」であり、「日枝」なのである。
東京・青梅市の北、市民公園の近くにある。いまでこそ整備された公園が連なる憩いの山並みだが、昔は苦労の多い里ではなかったか。たどり着いた神社は、まだ再建されて間もないらしく、手入れが行き届いていた。由緒書によると石川県鹿島町の石動山から勧請された神社とある。
そうみれば「ユルギ(動)」に「石」が付いているのが納得できる。この地に入植してきた人々が祖先伝来の祖神をここに運んだものだろう。祭神は当然、大己貴命(大国主)である。
がこの「ユルギ」神社も「居木・日枝」と同じということになる。
こっちも「ユルギ」に「小」がついた「居木」だ。
湘南海岸・江ノ島を望む江ノ電・腰越駅のそばにある。ここの狛犬は真っ赤な布を巻いていて参詣する人を驚かす。
鎌倉も近いこの周辺は歴史遺跡も豊富で、一枚の写真では語れない。
とにかくこの神社も「ユルギ」、つまり「居木」であり、「日枝」と同格だったはずだ。

ゆえに結論としてこう言えるのだ。


つまり「日枝神社」よりも「居木神社」や
ほかの「ユルギ神社」のほうが
もとの韻音を保っているから、「日枝」と漢字化される
はるかに以前から渡来してきた集団だ、ということだ。

しかもその足跡が関東一円により色濃く残っている。そのワケは?

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朝日町が全国で371箇所あることは冒頭に図示したが、ほかに日本と同義に使われる「日出町」については次回にゆずる。全国の街角で見かける「日出町」の元祖はどこか? 

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