「北の宿」や「北酒場」など
心にしみる演歌のテーマに
「北」というイメージがあった。それは北国の長い冬に閉ざされた心情を歌ったものだったが、「北というイメージに日本人は何か惹かれるものがあるのでは」と阿久悠氏がどこかで分析していたように、いつのころからか日本人の深層には「北」に対して特別なイメージが芽生えていたようだ。もしかすると、それは本ページでも示してきたように茶臼山の冬景色なのかもしれない。
ところが最近は地政学的盲目症のマスメディアのおかげで「北」といえばもっぱら「北朝鮮」を表すようになってしまった。
その「北」だが、なぜ「キタ」なのか? と聞かれて答えられる人はそうはいないはず。が、この「北(ホク・キタ)」は日本古代史の迷彩を剥がすキーワードでもあるのだ。
![]()
「北」はBOKU、つまり「向」で勿吉のことだ
袋(BUK-URO)は「北野」の略称
左図のように「北」は音読みではホク・ボクだが、朝鮮語では「プク」「ブク」となる。さらにバ行はマ行と交換するから「ムク」にもなるわけだ。となるともうお分かりだろうが「北」は「向(mooqui)」のことでもあり勿吉の略称ということになる。写真は所沢の北野神社だが祭神が菅原道真ということで学問の神として人気がある。その北野とはまさに「向野」と同義で古代朝鮮語では「ぷぐろ」と読む。その「ぷぐろ」を漢字化したのが「袋」なのである。
だから地名に出てくる「袋」は北野(勿吉野)の略称だから池袋や沼袋の「袋」の意味がこれではっきりする。「ふくろ」の漢字イメージに振り回されている地名学者がいるが見当違いもはなはだしい。「北」のイメージが悪くなっていく今日、「袋」の中身だけは隠さずに表に出してあげたいノダ。
![]()
写真(上右)は、埼玉県所沢市北野にある物部天神社国渭地祇神社天満天神社(通称:北野天神)。縁起によればヤマトタケルが東征の際、この地に饒速日命と八千矛命を祀ったとある。ニギといい、ヤチホといい「億ウソ」が暴露した匈奴の一族にすぎない。こうした伝承から見て、ヤマトタケル伝説とは「匈奴・フン族の倭奴国乗っ取り」に他ならないのだ。
![]()
木浦が百済王氏の木羅や関東の名家・吉良に
「北」のことを韓国ではPUKというが、日本では表のように「ほく・ぼく」と読む。これはプサンをフサン(釜山)というように韓国読みのPUが日本語読みではHUに変わるからだ。この一つを見ても両国の音韻が古代から密接にかかわってきたいえるのだ。「ニホン」を「ニッポン」、池袋をブクロというようにHU=PU・BUの交換は日常的にみられる。
| 北 野 |
HUKU-RO 袋 |
MOKU-RO 目黒 |
MOK-URA 木浦 |
| 全国の地名を当たれば「袋」の付く名前も「目黒」もずいぶんある。ほかに「北」は「ぼく」という読みがあるとおり「木」にもなり、これが倭では古代豪族の「紀」に変身し、韓では「朴」に変わる。同じように面白いのは、韓国の地名・木浦(もっぼ)だが、そのまま音読みの木羅(もくら)になっているケースでその代表が目黒(もくろ)だ。木羅といえば日本書紀・応神紀に出てくる百済の高官、木羅斤資のことだが、この木羅が日本に渡って名づけたのがズバリ「き・ら」、つまり関東の豪族、吉良氏だ。つまり吉良家の源流は勿吉族で匈奴の軍団を率いていた一族だった。 北野神社といえば「天神」「天満宮」とも呼ばれるがこれも文字通り、天(アマ)族と満州族のことであって「天満」とは合体名だ。そういえば新羅が高句麗を破って半島を統一したあと、高句麗の遺民が旧満州に打ち建てたのが渤海国である。「北」の不審船で騒がれたルートも1300年前、季節の潮流に乗れば自ずと日本海北陸沿岸に到着する渤海使がルーツだった。しかも遣渤海使節は遣唐使よりもはるかに多い。7世紀末から10世紀まで続く百済ヤマト朝廷と渤海国との関係も「高麗の旧居を復して、夫余の通俗を有てり」という国書が示すように、双方の間には暗黙裡に「茶臼(ジャウス)」人として気脈が通じていたはずだ。とすれば「北」演歌に発露する情念は、そのころ列島にやってきた「茶臼人」にひそかに刻み込まれたものではないのか。 そんな歴史に目もくれないマスコミに日夜「北朝鮮は怖い怖い」と煽られると誰だって恐怖心がもたげるのも無理からぬことだろう。マスコミの情報アンテナにこの「億ウソ」が届くことを願ってやまない、…が知らんフリされるのがオチか。 |
|||
「ヤマト」と「やくざ」と
「ヤバイ」の語源にみる
日本的三国志
古来から強大な権力を持つものが弱者の呼び名を名づけてきた。教室内でガキ大将が手当たり次第にあだ名をつけて支配力を誇示するのと同じだ。アメリカが「悪の枢軸」と名指して呼べば子分どももいっせいにそう呼ぶようになる (^.^)
ところで古代日本を「倭」と呼んだのは古代中華の歴代王朝だったが、さて「ヤマト」と呼んだのは誰あろう、それはヤマトより前に列島にいた「ヤクザ」なのである。というと目をむく人もいるだろうが、「やくざ」は「八狗邪」のことで魏志倭人伝にでてくる「狗邪韓国」の「狗邪(くや・くざ)」のことだ。
「やくざ」の語源をみると定説がない。賭博に明け暮れた渡世人がおいちょカブで893のブタを引いて損するとコワイぞ、だから893をヤ・ク・ザと呼んだという説が有力だがまったくナンセンスだ。おいちょカブなんてものがないはるか以前から「やくざ」は存在していたのだ。
「や(八)くざ」と読んでいるがこれは「八」の字義が八百八町というように「沢山」ということから徒党を組んだ「狗邪の者」を「八狗邪(ヤクザ)」と呼んだのだ。もちろん「やまと」が権力を取ると「ヤクザ(八狗邪)」は大和王朝の陰部に食いつく寄生虫的存在となって地下に潜っていく。
![]()
現代の「やくざ」もまた、大企業の不正を見つけては「暴露するゾ」、とゆすりながら身を太らせているが、こうした持ちつ持たれつの関係が1300年前からあったのである。「やまと」も「ヤクザ」も守護神が、仲良く天照大神であるのはヤクザ映画でご承知のとおりだがルーツはもちろん朝鮮半島にある。
「億ウソ」は、歴史の闇に消された亡者がさらにいると見ている。それが「やばい」である。ふだんチンピラ用語で使われる「ヤバイ」の語源も調べてみたがどれもこれも幼稚な牽強付会にすぎない。後日「ウソ発」にも登場する予定だが、「やばい」とは古事記・日本書紀の中でウンともスンとも書かれていない「邪馬台国」のことである。つまり「ヤマト」に殲滅され、地上から消された「邪馬壱(やまい)」の残党こそが「ヤバイ」である。魏志倭人伝に登場する「邪馬壱国」(古田武彦氏もまた邪馬タイではなくヤマ壱(イ)国説をとっている)が列島から消滅したのは「百済ヤマト」の「東征」によるものだ。このときに逃げ延びた「邪馬壱国」の残党に怯えた「大和人」によって「やばい」という言葉が生まれたのだ。それを「夜這い」からきたという説があるが、マンガ的珍説でしかない。
その「八まい」の「まい」は地名の「舞・米・毎」の漢字に当てられて現代に残っている。
![]()

「八」は「集う」という意味。となるとその下の字こそが氏族・部族・民族を表すのだ。
その全てが「億ウソ」で暴かれる日も近い
さてこのように日本は「八」の字がやたら好きのようである。大阪が「八百八橋」、江戸を「八百八町」というようにだ。上の写真を見ればその歴史の深さがわかる。その「八」思想は「億ウソ」にも出ている「八紘一宇」に通じるものだ。が、その始点が法隆寺の八角堂の設計思想と同様、高句麗道教に求められるというのが上田正昭氏(「古代日本の道教と朝鮮」)の説だ。法隆寺の八角堂(右)のように立派ではないが、川崎市の寺尾台団地内(円形枠)に7世紀ころに作られた八角堂の廃寺跡がある。ご覧のように礎石もあるがその背景はわかっていない。だが、「億ウソ」を見てきた人はこの辺りの地名を見れば推察はつく。
寺尾台廃寺跡:多摩丘陵の頂に立つ廃寺跡。団地に囲ま
れているが元は武蔵野の集落を見下ろしていた伽藍だっ
た? 八角堂は高句麗道教の「八方諸神……」「八紘一宇」
思想に基づく、となるとこの地もまた…
![]()
その「八」でもう一つ浮かんだことがある。ことしも鎌倉の鶴岡八幡宮は多勢の初詣客でにぎわったが、華麗な楼門に懸かった扁額を見上げた人はいるだろうか。それは写真のように「八」の字が、鳩が向き合う形で描かれている。実はこれは「八」という漢字の「読み方」を知る手がかりを教えてくれると前から思っていた。「鳩」は「群がる 集まる」という意味がある。その「HATOO」が「はとぅ」→「はち」になったに違いない。となると斑鳩の「鳩」の意味がよくわかる。つまり「斑」のハンは匈奴の「勿」であり、「鳩」は「群がる 集まる」のだからこの地が「百済ヤマト」王朝樹立の地だというのがよくわかるのである。聖徳太子が実在したかはともかくダブルイメージの聖徳太子幼少時の教育係であった高句麗僧・恵慈や仏教布教に尽くした恵便の果たした貢献は知られている。
その道教は3世紀には高句麗から入っていたのだ。王が「八方諸神……」と唱え、死後は八方位の宇宙を象徴した八角陵墓へ眠ったと記紀にもあるようにシャーマニズムと儒教が混ざり合った思想に「八」原理があったのである。もちろん源は中国にある。だから当然「八路軍」の「八」は同じ発想だ。
![]()
北朝鮮からのニュース映像を見ているとまるで60年前の大日本帝国時代の映像とまったく同じだ。おそらく7・80代の人はまるで鏡を見ている気分でいるのではないか。
歴史を隠蔽するとその国の民は「言語中枢」を失って権力の思うままになる。八紘一宇的発想から抜けきれない北朝鮮と日本の権力構造がいよいよ丸見えになってきた。なんとむなしい日々が続くことか。
民族名のタタールがチチハルにTutuhleから土浦に→秩父になった
北朝鮮と国境を接している中国東北部と極東ロシアの日本海側には国境をまたいで幾多の少数民族が居住している。その中の一つにタルタルソースや「韃靼疾風禄」などで知られるタタール族がいる。本ページでもあらまし見てきたがこの地域は紀元前から3世紀にかけて五胡十六国が入り乱れた所である。いまチチハル(斉斉哈爾)と呼ばれている都市は黒竜江沿岸に開けた古代からの町である。
2000年前から6世紀、戦乱のチチハル周辺から日本に渡って来た人たちこそ、古代の秩父、土浦を開いたのである。
タタールという呼び名は「ダイダラ」や「代田」「鳥取」などの大多羅にも通じるがこれは古代韓国の多羅でもある。その多羅からの移住者らによってこの地(茨城県東海村)を「東海」と名づけたのは、元はこの辺りまで海が広がっていたことを物語るものであり、その海が時代を経るにしたがって水位を下げ、茫々たる陸地に変わっていく中で河川となっていったコトで、やがてその川を「とんへ(東海)の川」つまり「とね川」と呼ぶようになったのである。こうした歴史をさかのぼった渡来交流の事実を知れば北朝鮮ももっと「近いクニ」になるはずだ。
![]()
北朝鮮の裏庭にあたる中国東北部は9世紀ころまで渤海、靺鞨などのクニが勃興した地域だ。出自は当然高句麗である。そこにはいまも十を超える少数民族がいる。しかも日本語と同じアルタイ・ツングース語族である。ところが日本ではその実体はほとんど知るすべもない。がインターネットのおかげで徐々にわかってきた。とにかく知れば知るほど、そこには「歴史を自ら抹殺してきた日本の支配層・百済ヤマトの恐るべき陰謀」が明るみになってくるのだ。そのことをこれからも本ページで「ウソ発見」していきたい。「億のウソ道」から一日も早く抜け出られることを祈って、だ。そういえば靖国神社がお気に入りの小泉首相は、靖国神社の境内から消え去った「北関大捷碑」のことを知ってるだろうか。これまた知らないと恥かくね。(^^)
![]()
ゾンビ国家主義に「ノー」の声を上げたフランスのヒーロー・ジダンがやってきた
フランス大統領の選挙にチョー注目していたネ。結果、右翼のルペン候補は敗退したがそれでも18%の支持があったというからビクビクしたぞ。「フランスから移民を追い出せ」、と露骨に排他的国家主義を訴える氏に対して、それでも市民が掲げたプラカードには感銘を受けた。そこには『フランス人はみんな移民の子だ。民族差別をするルペンを許すな』とあって盛り上がってたね。フランスサッカーのヒーロー・ジダンも「移民の子」として強い共感を示していたしね。感激だ。
さすが市民革命の発祥の国だけのことはある。それにつけて日本はどうだ。あからさまに差別語を使って開き直る石原東京都知事に、こともあろうにテレビ、新聞の大手マスコミの一部が、ぜひ次の首相にと担ぎ出そうとしているではないか。まったくフランスと正反対だ。
そんな中、石原氏が毛嫌いする「北朝鮮」では、日韓共催ワールドサッカーに対抗して『アリラン祭』を開催、世界のメディアに大々的に宣伝している。いつもながらの完璧なマスゲームは迫力満点だが、日本の中には「上から強制する共産国だからできる芸当」という冷めた見方が多い。がこの見方、横並びではヒケをとらない日本人では説得力がないね。横並びといえば、税金をチョロまかす先生方も横並びなら、それを報道するマスコミもまるで始めて不正を見つけた中学生のように、いっせいに横並び報道のはしゃぎぶりだ。
さて、その「アリラン祭」だが、このサイトを通して見てきた人ならぼんやりと思いつくことがあるはずだ。
不滅の名曲を生み出した演歌の作曲家・古賀政雄は前出の本の中で「朝鮮は私の第二の故郷です。悠久な大陸的揺藍の中に朝鮮民謡によって育てられてきた私が、音楽に親しんだのも、作曲に興味を憶えたのも畢竟忘れられない朝鮮民謡の旋律の美しさからです。」と語っている。その「アリラン」の語源も明らかになった。誰でも知っているアリランのフレーズ「アリラん アリラん アラリよ」はまさしく「アルタイ→アルライ→アルラ→アリラ」からの転化であり、『新』のページでも披瀝したようにアッライ→アライ アルラ→アリタ(新田、有田)にも通じる「アルタイ」なのである。
アルタイ(金)が姓名になった韓国と国の枕詞(黄金)になった日本
その「アルタイ」がアルタイ山脈の名前から来ていることや日本語・朝鮮語、モンゴル語が同じアルタイ語族だというのも世界の常識だ。ちなみに「ALTAI」と検索で打ち出してみるといい。ずらーっと出てくる英語圏での「アルタイ」に出くわすはずだ。10年前のdosマシンの付録にあったCD辞書にも「アルタイ」はこう出ている。
The Altai Mountains= (Mongolian: Altain-ula, "mountains of gold")
つまり上の図に示したようにアルタイの「金」がどう定着したか、それがなによりの証拠なのである。
こうしてみると「アリラン」がいまの中国吉林省、黒竜江省に居住する朝鮮族にルーツがあることは間違いない。その先は間違いなくアルタイに到達するのである。
アルタイ→アリラい→ありた→新田(ラがタ・ラ・ナ通音変化してアリタとなる)とくると、「アリランは韓国の一民謡」だ、などといってられない深遠なものを感じないわけにはいかない。しかもあの「拉致の子の親」が有(アリ)本さん、となるとこの「横並びにつながるアリラ」をどう受け止めてよいのやら、もう一度振り向く必要がありそうだ。
話は戻るが、フランスに限らず世界はグローバルの時代だ。サントス(三都主)やコニシキや国会議員になったツルネン氏もれっきとした日本人だ。そろそろゾンビ化した「平家にあらずば人にあらず」式の「日本の心」がわからないものは日本人にあらず、なんてボケたことを言ってる場合じゃないよね。日本人でないトルシエ監督に託したことで日本チームが成長したことをどう思う? ここはひとつ皆さんも一緒に考えてほしいね。
![]()
いよいよ開催年だね‥‥盛り上がってきたけど
1994年6月のその日まで日韓の関係者は、あの手この手と目に余る誘致合戦を繰り広げ、どちらに決まっても険悪な事態になるのではと懸念されていた。
そんなさなかの決定だけに日韓両国のファンはこのニュースに「え〜っ? うっそー!」と驚ろきと戸惑いの声を上げた。
そのころの新聞記事にいわく。
「なんで韓国と一緒なんだ?」「そんな押し付けなら参加を止めてしまえ」「日韓共催反対」というマスコミ・ジャーナリズムの声が毎日のように報道されたのである。
この「ページ(『2002 新丸礼二』)」を開くきっかけとなったのも、まさにこのときのマスコミ報道に抱いた疑問からである。
そこに浮かび上がったものは、日本と韓国、いや東北アジア地域がルーツを同じくする「一衣帯水」の関係にあるにもかかわらず、そこに見る報道は、そんな知性のカケラすらも見当たらないちっぽけな「日本民族主義」だった。その拒絶感に「この機会を逃がせば日韓はこの先、血で血を洗うパレスチナ・イスラエルの人々のように憎悪の連鎖を生むことになる」という危機感を抱いたものは多かったはずだ。両国の熾烈な誘致合戦を目撃してきたヨーロッパ先進国の知性が「日韓共催」という案を提案してきたのも、そうした「犬猿の仲」を中和させるためであったというのが真相であろう。が、そうであれば情けない話だ。
桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫という天皇発言に無反応の不気味
もしW杯開催がどちらかの国に決まっていたら、「犬猿の仲」は解消できないばかりか1200年も前から続く「怨念の連鎖」が火を噴いて、いまごろ「アフガニスタン」や「インド・パキスタン」「シリア・パレスチナ状況」になっていたかもしれない。
下の地図は、「日本渤海交渉史」の本の中にある地図だがその説明に「イキリスの歴史家アーノルド・トインビーは、『歴史の研究』第一篇において、はなはだ図式的で巨視的な説明だが、世界史上に出現した諸文明を、二一の文明圏に整理し」ている。トインビーはその中で日本と韓国の位置づけを1ブロックに扱っているのだ。つまり朝鮮半島と日本列島は文明史的にも言語学的にも同根だと見ているのである。その根拠はもちろん客観的な歴史事実にあるのだが、こうした客観的な歴史観が日本国民にはまったく教えられていないし、知らされていないことは悲劇だ。その意味で、近現代にまでつづく両国の抗争は、1200年前の三国対立の構図をそのまま引きずってきたものといっていい。
だからでもないだろうが、いまだに「犬猿の日韓がなぜ共催するのか」というFIFAの決定に面と向かった議論はない。
ところがそんな危機感を持っていたのが、な、なんと天皇陛下だった。
ということが12月23日の天皇誕生日にわかった。
この日、天皇は自らの出自について「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると、『続日本紀』に記録されている事実に、韓国との縁を感じる」と発言した。もちろんこの発言は重大ニュース、のはずだった。
ところが世間の反応はあっけないほど無反応だった。マスコミにいたっては一部新聞を除いて、ほとんどノータッチ、いまだに茫然自失なのか、この重大ニュースをフォローするメディアがいまもってない有様だ。
もちろん天皇家が「百済の武寧王と親戚」という史実は『続日本紀』によってすでに知られていたが、アジア蔑視の皇国史観に立つ歴史学会やジャーナリズムの間から「天皇の名誉にかかわる」としてタブー視してきた。この「タブー」がくすぶり続ければ日韓の間でおそらく、「怨恨の連鎖」は続くことになる。
まして百済のルーツは、いまもって日本で唯一外交のない北朝鮮の高句麗と同じ夫余族である。が、根深く温存されてきた「日本民族優越性」からみるとこれが許しがたい「自虐」ということになる。
だから先進国に「共催」の面倒を見てもらうことになる(^^)。アフガニスタンの部族抗争と同じだ。まったく情けない。天皇発言に、またまた「自虐的」とイチャモンを付けて「犬猿の仲」を選ぶのか、「新しい歴史教科書を作る会」の態度が見ものだねー(^^)
![]()
「日本人のルーツがわかった」ならまず政治家、評論家に知らせよう
NHKが深夜にBS番組を再放送している。何気なく見ていたら「遺伝子」というおフル番組でサブタイトルに「日本人のルーツを探る」とあった。またやってるな、と軽い気持ちで見ていたら、ヒトの遺伝子の中のミトコンドリアを解析することで「日本人のルーツ」がわかったというものである。ところが同様の研究成果はすでに発表されている。メモがないから大まかなグラフにして下に置いたが、その中で「日本古来のヒトが4%」というのがあった。これは傑作だ。というかNHKの微妙な姿勢が出ていて面白い。この場に及んでまだ、「日本人」などというカテゴリーの人種がいるとでも思ってるのだろうか。図を見てもらえばわかるが、日本人の大半は「韓国・中国」が50%とあるように大陸からの渡来人である。ここも肝心だ。別表に韓国・中国人についての分析があったが、現代「韓国・中国」人もまた国内では半数ちょっとしかいない、と出ていた。つまり現代「韓国・中国」でさえ半数以上は外の血がはいっているのである。世界の国々、とくに先進国ではそれを歴史学の中から学び取ってきたが、日本はいまなお、ニセ発掘の狂気沙汰が示すようにいまだに「日本人は単一民族」とまるで「日本人」マークでもつけて生まれてきたかのように固執している。権力が敷きつめてきたこうしたドグマが2000年続いてきた結果として、今の日本の混乱があることは誰が見てもわかることだ。「どうすればこの難局を超えられるか」、「昔はこんな日本ではなかった」とかなんとか最近またまた「日本亡国論」が喧しいが、マスコミに登場する批評家にこのグラフを見せて「ご感想は?」と聞いてみたいものだ。いや全国の街角にこのグラフの示す意味を解説するポスターでも張れば、ちょっと早めに日本の構造改革が進むかもしれない。がやはり、見てみぬふりは続くようだ。これらのウソを散歩がてらに見つけてお知らせしよう (^.^)
![]()
![]()
![]()
戦後復興の精神的な支柱でもあった力道山の墓が東京・池上本門寺内にあるのはよく知られている。この日も大勢のファンが三々五々訪れていたが、何年か前にあったはずの墓前の案内板がなくなっていることに気付いた人は少ないのではないか。たしかペンキ塗りの案内板にこうあった、と記憶している。
「力道山は北朝鮮の生まれで、北朝鮮政府からスポーツ英雄賞を授与されている……」云々。
そう、彼が北朝鮮生まれの在日朝鮮人であったことを知る人はどれほどいるだろうか。南北朝鮮の和解が進み、さらに日朝間の和平交渉が新しい段階にきたいま、力道山の魂は、この状況をどのように見ているのだろうか。
2002年のワールドサッカー開催までにこれらの問題が解決して、横浜国際競技上に北朝鮮のチームが活躍するのを、「力道山の魂」が誇らしくにこやかに、日本の澄み切った秋空の上から見下ろしている、といった図がはたしてあるのだろうか。そんな日が来ることを願いたいのだが、なぜあの案内板がなくなったのだろうか。
